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幕引きの役者


体の調子が悪いと病気ではないかと心配になり、「真実」を求めにヒトは病院へ行く。
検査の結果、異常の「真実」がわかれば、少し安心する。
検査で異常が出ないと、「真実」がわからず不安になる。
自分のこの不調はいったい何が原因なのだろう・・・?

果たしてあなたが無意識に追い求めている「真実」は本当の真であろうか?

科学が発展したのは、ある意味「真実」を知ろうとする人間の欲であった。
数多く発見されてきた、自然科学の法則は、確かに人智の範囲で「真実」であった。
自動車が走り、飛行機が飛び、ロケットで宇宙へ行くようになった。
これは、「真実」を知ったからである。

しかし人間は、本当の真、絶対の真を知ったのではなかった。
知ったと思った「真実」は、人智の井戸の穴の中でしか通用しない、ぬか喜びのものでしかなかった。

科学が発展しだした頃、人間は「真実」を知ることによって、もっと自由に便利に豊かに生きることが出来ると思ったに違いない。
「真実」の探求のためには、自然を犠牲にすることもやむを得なかった。
そしてそのたった数百年後、人間は自らの手で処理が出来ない原発を作りあげ、その当然の帰結として自ら自爆した。
自爆しただけではなく、地球上の生命を道連れにした。

今だからこそ、あのときの人間が踏み出した方向が間違っていたといえるのだ。
当時は多くのヒトが科学の発展に夢を託したはずだ。
科学が発展を始めようとしたとき、あえて「やめろ、自然に還れ!」と声高に叫ぶことができたヒトがどれだけいたであろうか?

こうして考えると、ヒトという地球上の一生物は、地球の生命の終焉を導くために誕生した生命体のように思える。
幕引きの役者だ。
線香花火が最後に一瞬の閃光を放ち、落ちて消えいくように・・・。

もはや花火は輝きを失い落ちる寸前だ。
自然と一体となって生活していた頃の人類には、もう戻れない。
しかしそれも運命なのかもしれない。
人類が地球の幕引き役者なら、それも自然の筋書きなのだ。

結局、役者は役を演じただけで、台本を書いた作者(=神)の心は、推し量る努力は出来ても、その真なる「心」はわからない。
何の意図があって、生命という台本を書いたのか?
台本上の役者にとっては、永遠に理解は出来ない。

一生懸命、「真実」と思って演じてきた台本は、台本でしかなかった。
人智の及ぶ範囲に、絶対の真はなかった。
人類は戯曲を演じてきたのだ。


方丈記・・・

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
~略~
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。」


ヒトも生命も、川に浮かんでは消える “あぶく” のようなものだ。
所詮、あぶくにとっては、なぜあぶくができるのか、なぜ水があるのか、なぜ川が流れているのか、そんなことは決して分からないのである。


そんな “あぶく” に意味などあるのだろうか?
ヒトは「生きた証」などと、自らの人生に意味を持たせたがる。
はっきり言って、人間が考えるような意味での「意味」は存在しないといえる。
本当に意味があるかどうか、それは台本を書いた神のみぞ知ることである。

ただわたし達人間は、ほかの動物や植物や昆虫たち生命と共に、日々を楽しく生きていればよかった。
「真実」を追究し、時空を設定し、「意味」を考え、ヒトは自然の営みから孤立していった。
しかし「禁断の木の実」・・・知恵がついたのも人間という役者に課せられたシナリオだった。
原発や戦争で自爆するのは、幕引き役者の人間には、避けられない流れだったのかもしれない。

もはや過去を懐古し、未来を憂慮するとき・・・それ自体が反自然なのだが・・・わたしには暗い人類と地球の未来しか見えない。
絶望といえば、その通りかもしれない。

舞台の幕はもう10分の9ほど引かれかかっている。
その幕を次に再び開ける役者は、人間とよばれる生命ではないような気がしている。

たとえそうであっても、夕陽が沈む一瞬に放たれる伝説のgreen flash のように、その最後の一瞬だけでも、神の元を目指して進もうではないか。
地球劇場・第一部の最後の最後に、第二部のためにも一瞬の明るい光明を作りたい。
「真実」を求めず、「意味」を考えず。

ヒトが求め考えるところに、神はいない。
真実は台本の内容にあるのではなく、役者それぞれが本当の真であった。
ヒトという自称・役柄 「知能指数の高い生命体」 は、そんな簡単なことにも気づかなかったのである。
幕引きに指名された役者の役柄としては、最適であったのはいうまでもない。

ロケットで飛び出したどんなに遠い宇宙の先にも、顕微鏡でのぞいたどんなに微細な素粒子の世界にも、神はいなかった。
たとえ、マクロとミクロ、大宇宙と素粒子の世界の構造が同じであり、神の痕跡を感じることはできても、神を見つけることはできなかった。

人間は神の風呂敷の中で、自分だけは特別ですべてを知ることができると考えてきた。
確かに人間は特別だった。
人間だけが神を知ることができない唯一の生命体であったという点で・・・。


きょうも「真実」を求めるヒトで、病院は行列だ。
みんなで毎日一生懸命、幕を閉めたがっている。
本当の真を見失った人間、目は開いているのに「光」は目に入らない人間。
魑魅魍魎、ゾンビの世界 とどこか変わりがあるだろうか。

わたしはこんな現状にうんざりだ。

そもそも地球上に「仕事」など必要はなかったのだから。


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ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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