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これからの生き方について

少し考えていました。

今の戦争の無い平和な日常があるのは、日本にいるおかげです。
国があるからです。

でも日本は財政破綻しており、いつ東アジア圏に取り込まれてしまうかわからない。
大陸から多くの人が押し寄せて、日本は消滅してしまうかもしれません。

わたし達国民は、選挙での1票としてしか、政治を変える機会はほぼありません。

自分にできることはする。
でも、それ以上はどうにもならない。

そもそも地球人は宇宙人のように、宇宙のどこにでも瞬間移動できるわけではありません。
万一、近々宇宙人が現れて、地球の技術革新を手助けでもしてくれたら、世界観も変わるかもしれません。

無農薬の奇跡のりんご農家、木村秋則さんの本には、宇宙人と遭遇し、地球の最後がすでに近いことを知らされた、という事実が書いてあります。

でも、普通の一般人である私たちにとって、期待するのは夢物語です。

さらに、自然の流れとして資本主義も断末魔の叫びをあげているようです。
日本の財政破綻もそうですが、世界のおカネが紙くずになる日も近いのです。

弱肉強食の治安のない世の中が来るのかもしれません。


なぜ人間は、地球は、こうなってしまったのでしょう。

原因は、人間の過剰な欲望と、死の軽視(恐怖の裏返し) にあると思います。

他の生物と人間との違いは、欲が満足することをしない所です。
人間は、次々に高い欲望が出てきて、またそれを成し遂げようと強引に動いていきます。
他の生物は、本能が求める以上の食物を得ることはしません。

また、物質主義の欲望の世界に浸りきって安楽を覚えたために、死について考える機会が奪われています。
死を避け、怖がり、タブー視する傾向にあります。
いつまでも執拗に「生」にしがみついていたがります。

でも生命は必ず死ぬのです。
そして死の上に自分の生命があるのです。

毎日食べている食物も、すべて他の生命の犠牲です。
動物の肉も魚の肉も、野菜もお米もすべてそうです。
みんな生きています。

自らも必ず死に行くこと、そして今の自分も他者の死の上に生かされていること、を強く自覚すれば、自らの過剰な欲望を、もう少しコントロールすることはできるのではないでしょうか。

地球は、地球が生んだすべての生命は、人間によって略奪されました。

ホメオスターシスのバランスが崩れてしまったのです。

結局は共存共栄しかないのです。

人間を生かすなら、他の全ての生命を尊重するのです。
草木の1本、ムシの1匹からすべての他者に、敬意を払って語りかけるのです。

わたし達人間をはじめ、すべての生命を持つものは、同じ生命という次元に生きています。
肉体として個体として、自己と他者の区別はありますが、生命の「あらわれ」が異なるだけで本質は同じなのです。

絶対矛盾的自己同一なのです。

自己と他者の区別をしっかり認識しながら、互いに認め合い、尊重し、感謝し感謝されあう。
そうした理解を得ることがとても大切だと思うのです。


これからどう生きるのか?

地球の最後が近いとしても、一つの生命として一番矛盾の無い生き方をしたいと思っています。

それは自然と答えが出ています。

目指すのは、生命を限りなく無駄にしない生き方です。

自分の成り立ちを考えれば当然のことです。
すべての生命は自分なのですから、それは自分を大事に生きることでもあります。


今の消費世界は生命を限りなく無駄にしています。
残飯は捨てられ、農薬は撒かれ、要らなくなったモノはすべて捨てられています。

農業は大事ですが、自然農法を進めるべきです。
農薬で人間の取り分だけをがめるのではなく、雑草や虫や鳥と共存してこそ、生命としての人間が復活します。
それは結局、安全の面からも、自分の身体の健康に還って来ることです。

いつまで、日本が平和な治安を守ってくれるかわかりませんが、自分は自身の人生において、より良い人生を送りたいと思っています。

より良い人生とは、繰り返しますが、生命としての基本に忠実であることです。
必要な生命の犠牲は厭わないが、その事実をよく認識感謝し、できるだけ不要な犠牲を避ける生活を努力すること。
それが、一番素晴らしい生き方だと思います。

自然と自分の心も落ち着き、癒されると思います。

人間が生命のあるべき一員に戻ることができれば、自然は優しく見守ってくれるはずです。


世界は自分の目に見えるものが全てではありません。
目に映らないものの方が多いのです。

木を見てください。
地上の枝葉があるのは、地下の見えない根がしっかりと地上部以上に張っているからです。

息ができるのは、目に見えない空気、酸素が満ち満ちているからです。

目に映らぬものたちにも、絶対矛盾的自己同一の精神は働いています。
見えないものをも見る目を養えば、見えるものだけに対する過剰な欲望は、少しは消え去るのではないでしょうか。


わたしはまだまだ私欲が捨てきれませんが、徐々にこうした未来に挑戦しようと準備をしています。

具体的には、田舎に土地を得て、自ら固有種の野菜を育て、自然農法や不耕起栽培で、自然と共生しながらの静かな生活を目指しています。


そのうちまた、続きを報告したいと思います。

どうもありがとうございました。






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コメント

非公開コメント

コメントありがとうございます

 Kさん、コメントありがとうございます。まさかこのようなブログにコメントを頂戴できるとは思っていなかったので、正直びっくりでした。
 本当にKさんのおっしゃる通りです。これからの人生は、自分が今まで考えてきた世界の、あるべき姿に忠実でないと、自分として何かやりきれない気持ちになってしまいますよね。自然から解離した人間の帰る道は、やはり自然復帰しかないと思います。自然と人間は、本来同じ地球、宇宙の一部であり、反逆したり征服したりすべきものではないですよね。人間の主観が育てた、「モノに価値がある」この欲望、羨望の世界は、本来、無価値の存在であることに、世界の人々が気づいて欲しいです。本当に価値のあるものに気づくには、どうしたらよいのか。今後も思いのたけを綴りたいと思っています。いっしょに頑張りましょう。同じ思いを持っている方に出会えて、とても嬉しく思いました。ありがとうございました。

地球という一つの生命体を生きている

私もずっと同じことを考えてきました。

10年くらい前から、できるだけ自給自足をして、余計なものは浪費せず、
「物質的には質素に、心はたのしく、すべての生に愛を感じながら」生きてきました。

同じ方向に向かっている人も多いですが、なかなか世間の大多数は、
自分の私利私欲を満たすことを優先してしまっているようです。
そこには、ほんとうの幸せはやってこないことにも気づかず、
いまだに自分だけが優位に立つ競争をして、もがいています。

そのことが、今少し悲しくて、憂いを感じてしまっている・・・。

私も自分だけの心の平安では、根本は救われませんでした。
不幸な人がいて、自分だけが幸せになるということは無理なのだと気づきました。

だから、「地球という一つの生命体の一員」として、
みんなで幸せになる道はないかと模索し始めたところです。

こういうメッセージを伝える人が、一人でも増えると、全体の目覚めが早くなります。

みんなでひとつ(地球)を生きているんだ。みんなで幸せにならなければ、
だれも真には幸せになれないのだ。

こういうことを、どんどん、もっともっとメッセージとして広げていきませんか?

早く気づいた人たちが、一緒になって力を合わせれば、
地球の未来は、まだ今だったら救える気がしています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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