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或る夜のこころ

大不況、大震災、大洪水、新型インフル・・・

暗い話題ばかりが目につく最近である。

でも、ちょっと待てよ。
大不況といっても、何をもって大不況と云っているのか?
赤字決算、個人消費の落ち込み、株価の下落・・・?

いずれにしても、数字で表わされる「結果」によって、不況だ不況だと世間は騒いでいるわけである。
また、そもそも不況などというものは、人間種のみに存在する世界観である。
トリやムシ、ドウブツにとっては、不況などは関係がない。
そしてわたし達は、不況という概念を、ニュースを通して「洗脳」されることになっている。

つまり、各「結果」の数値、そしてそれを広めるニュースという「ものさし」が無ければ、不況という2文字は広がりを持たない。


次に、新型インフル。

世界にインフルというものを発見する科学力が無ければ、そもそも「ただの風邪」としかヒトの目には映らない。
ここでも、インフル検査キット=ものさし、と言い換えることが出来る。


次に地震。

ここでも、マグニチュードとか震度という、ものさしが登場する。
さらに、地震予知が民間レベルで飛躍的に進んでいるため、「近々どこそこが危ない」などと情報が飛び交う。
しかし、これも電磁波やイオン測定など、すべて科学のものさしにより導入されたわけである。
縄文時代の人間であれば、遠くから聞こえる地鳴りの不気味な音や、真っ赤に燃える夕焼けなどを見て、ぼんやりと異変が近づきつつあるのを感じたことであろう。

そして、とにかく毎日を生きていくしかなかったわけである。


現代は、とにかく、情報=ものさしが多い。
株価が下がった、為替が上がった、あの企業が倒産しそうだ、インフルが大流行だ、地震が来そうだ、ドルが崩壊しそうだ etc.  
ヒトを不安にさせる環境が、大変便利に整っている。

でも、怪情報が飛び交っても、ヒトはただ毎日を生き抜いていくしかないのである。
ものさしがなければ、惑わされることも少なくなる。

ヒトを一定の型にはめようとする、様々なものさしが身の周りに満ち溢れているが、本当に必要なのは、自分のものさしである。
「自分ものさし」は、自分が生きていくために必要な夢と希望と哲学を示してくれる。

世界を測るものさしとしてテレビや携帯が必要なのではなく、自分を測るものさしを手に入れることが、さらに重要なのである。

世界を測る前に、自分を測れなくては、世界もへったくれもないのである。
世界は自分、自分が世界なのである。

とにかく日は昇り、日は暮れる。

世界がどんなに「不況」でも、どんなに「大災害」「大飢饉」「伝染病」が流行ろうとも、時間は同じように進んでいく。

自分は1日、1日を暮らしていくしか、方法は無いのである。


とにかく生きる。
生きるとは何であろうか?

この世界に命を授かっている、すべての生き物達は、今という同じ時間と空間を共有し、互いに感じあうことが出来る、数少ない友達、魂の共同体だ。

しかし毎日多くの命が、仲間から脱落し、「死」んでいく。
そう、あなたがさっきパチンと叩いて殺した「蚊」も・・・

ヒトは「仲間」の死を悼むが、生きていくということは前を向いていくしかない。
死者はしばらくすると、どんな偉大な人物でも忘れ去られていく。

たとえば、M.ジャクソンさん。
もう、すっかり忘れられていないか?
日本の社会は、らりpのクスリ事件で最近は持ちきりだった。

それでいいのだ。
死者は忘れ去られ、次なる命の土台となり基礎となる。
常に、「生きる」者達は、前を向いていかねばならないのだ。

そんな前を向くわたし達の足取りを重くさせる、様々なものさし。
ものさしを持ちすぎたり、使いすぎたりすると、それはものさしではなく、「足かせ」となる。
前に進めなくなる。

自分が前に進むための、自分仕様のものさしを持つこと。
それが最終的に、世界を前に進めていくことにつながるのだ。

とにかく生きること。
生きている以上は、当たり前のようだけど、生きることが大事である。
「生」から脱落したら「死」が待っている。
しかし、「生」と「死」は裏返しだが、絶対的に相反する事象である。
生は死を忘れる。
そして死は生を追いかけない。

ヒトは死ぬために生きるのではない。
生きるために生き、死ぬために死ぬのである。

どんなに世界が変化しても、どんな毎日になろうとも、「命」与えられた者は、ただ生きるしかないのである。
これは苦しみでも牢獄でも運命でもない。

こうした事象をすべて受け入れて、恐れなく「生」を表現していくことこそが、自分という宇宙そのものの「幸せ」である。
恐れない「生」は、恐れない「死」となり、それも自分宇宙の「幸せ」である。

宇宙は「幸せ」を求めている。
その幸せを具現するのは、自分次第、つまり自分ものさし次第である。

きょうも1日、「生」きることができたことに感謝しよう。
世界のものさしが何を測ろうとも、きょうの自分ものさしは、自分を幸せに出来たであろうか?
毎日己の心に問いかけて、反省と感謝を胸に、夜の眠りにつくことにしよう。


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ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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