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「彼」の記録 ~人間賛歌 別章~

「何で俺なんかを生んだんだ!?」
母は泣き、男はやり場のない怒りとやるせなさに、初診アンケートで渡されたボールペンをへし折り、プラスチックの板もバリバリに握りつぶした。

男は心が閉ざされ、いつ爆発するかわからないほどささくれ立っていた。

高校生から自傷行為を繰り返し、精神的なトラブルを抱え続け、職を転々とした。
病院にはかかっても、医師を信用できず、すべて通院は1回きり。
彼の「心」を開いてくれる医師はいなかった。

男は返事もせずに、ギョロッと下からわたしをねめつけ、重い足取りでのっそりドアを開け、無言で診察室に入り、どっかと腰を下ろした。

訴えは、1ヶ月続く夜だけの発熱。

それについて調べたのは云うまでもないが、爆発しそうな「心」が一番の問題であることをひと目で察知したわたしは、最大限の注意を払って問診を続けた。
予想通り、腹部と腕には無数の自傷の切痕があった。

彼は、自分を「理解されない人間」、周囲から「必要とされていない人間」と思い込んでおり、「生きる意味」をまったく感じられない状況にあり、「なんとなく」すべてを他人のせいにして、30才を間近にしても病院に付き添って来てくれる母にある意味で「甘えて」過ごしていた。

ここでも「生きる意味」が問われている。
生まれつき、心が病気の人間はいない。
赤ちゃんはみな心は純である。
成長とともに「病」に侵されるのは「精神」である。

彼は人一倍、繊細でナイーブな心を持ち、欺瞞に満ちた裏切りの現実世界に耐えられなかったのだろう。
彼はこの嘘と利己的な社会の犠牲者でもある。

死ぬことはない。
人間は必ずいずれ死ぬ。
生きていてこそできること、しなければならぬことがある。
「心」の現実の純潔に自らが気づき、周りの他者もそれを思いやれる気遣いができれば・・・そして傷ついた「精神」を自らが治していく意思があれば、きっとまた元気だった頃の活気が戻る。

「死」は生きとし生きるものすべてが平等に享受するもの。
どんな職業であろうと、生と死はすべて平等だ。
各人で違うのは、今をどのように感じ考えて、生きているかである。
カネではない。
地位や名誉ではない。

今を生きていることに、特別な理由はない。
敢えて言うならば、それは宿命、無限の摂理である。
無に対する絶対矛盾的自己同一である。

しかし生きているこの世界の「現在」にわたし達は位置している以上、この世界における「責務」を果たしていかねばならない。
それは「他者のためになる、思いやりと気遣いの心」を持つことである。

「ありがとう」が世界を創る。


彼は最後に小さくこうつぶやいた。
「ありがとうございました・・・」
そして少し笑った。

きっと彼は、「誰か何かのため」になって、神様に呼ばれるまで、人生を自分らしく生きていってくれるはずだ。

その美しい「心」が彼には、しっかりと備わっている。

わたしは彼に出会えたことを感謝し、今日一日を生きられたことを神様に御礼をして、床に就いた。

出会いもあれば、すれ違いも有る。
それはすべて偶然でなく、偶然という必然の為せる現象なのである。
絶対矛盾的自己同一の世界は、どこまでも不可思議でそして合理的な矛盾を生み続けているのである。

西田先生、わたしの気持ちが通じますか?

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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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