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表れる問題点


前回書いたことが、徐々に現実になってきました。
日本産のすべてのモノは売れず、日本からは外国人が消えました。
鎖国状態です。
江戸時代は、自ら宣言して行った能動的鎖国でしたが、今は受動的鎖国です。

いずれにしても、当たり前ですが日本には日本人が残り、世界とは人間以外に物流の交流もすでに無くなりつつあります。
グローバリゼーションに自らその身を投げた日本にとっては、その枠組みの中では死活問題になるでしょう。
人とモノの輸出入が滞れば、現在の経済情勢、生活水準は保てなくなります。
震災後は投機筋により円高になりましたが、基本的には円安です。
日本の信用がなくなりますから、国債も暴落し、会社も潰れますから株安になります。
トリプル安です。
国債の暴落は、ハイパーインフレを引き起こし、お金は紙切れと化すでしょう。
これで日本の赤字も帳消しというわけです。
もちろん個人の資産もなくなるわけですが。

今回の震災のみで、そこまで行き着いてしまうか、次の地震で限界となるかはわかりません。
次の地震というのは、もちろん東海地震、南海地震です。
東海地震で浜岡原発が事故を起こせば、風向きから考えて東京もダメでしょう。
若狭沖も原発密集地帯ですから懸念されます。
いずれにしても、残念ですが日本自体のメルトダウンは近いと予想されます。

このような状況下でわたし達はどのように行動すべきなのでしょうか。
水もダメ、野菜もダメ、魚もダメ、空気もまともに吸えない。
電気もなくなり、お金も消え、物資も窮乏する。
仕事はなくなり、病院も閉鎖、今までの生活のすべてが失われる。

ある有名人が、「自然が憎い」と言ったようです。
東電だか政府だかわかりませんが、比較的低レベルだからという理由で、汚染水を海に大量放出したそうです。
これでは望みがありません。

あまりの悲惨な状況、家族や友人が奪われ、家や財産のすべてが流された。
現実をどう受け止めたらいいのか気持ちの整理ができないと思います。
その責任をどこにぶつけたらよいのか・・・
津波を起こした、海であり自然が敵である。
そう短絡的に考えては意味がありません。
まだ受容できず、「怒り」の感情がわいているのはわかります。
気持ちはわかりますが、どこかに責任をおしつけて解決できる問題ではありません。

自然とは常に穏やかなわけではありません。
オヤジが(自分もですが)、鼻がムズムズして周囲100メートルに響くような大きなくしゃみをするのと同じで、自然もたまには大きなくしゃみをし、鼻水を出します。
それが大地震であり、津波なのです。
自然はただ、くしゃみをしたかっただけなのです。

トラが草食獣を狩りして食べるのを、かわいそうなどと思ってはいけません。
トラはただ食事をしただけなのです。

そうした自然の本体に思いを馳せることすらせず、目の前の事象を人間中心に考えて、感情的になってはいけません。
そもそもすべての災害と名のつくものは、自然が相手ではあってもその原因は人間にあるのです。

防波堤のない小さな町では、ふだんから防災意識が高く、避難訓練を繰り返していたそうです。
地震発生と同時に、10分で住民全員の避難が完了しました。
一方、世界一や日本一と名のつく、防波堤や防潮堤のあった町では、多くの犠牲者が出てしまいました。
本来であれば、津波が到達する海に近い場所、標高が低い場所には住まない。
住むのであれば、緊急時はすぐに避難できるように心身ともに準備を整えておく。

カマキリは、冬の積雪を予想して、積もる雪よりも高い位置に卵を産みつけるといいます。
自然と共に生きる生物は、みな自然を敵には回しません。
敵、見方はなく、自然と共に生きる、ただそれだけです。
人間も自然から生まれ、自然と共に生きる生命であるはずです。
どこの時点からか、人間に都合のよいように自然を調節しようとし出しました。
自然を人間に相対する存在として見出してから、世界はおかしくなってきました。

人間はどんなに進化し、知能がよくなったとしても、その哲学的原理から、絶対に自然を方程式で「理解」することはできません。
人間自体が、自然の風呂敷の中でしか生きられないからです。
どんなに精緻な分析を重ねても、分析の積分はあくまで部分の集合であり、全体、本体には程遠く、それは性質が異なるものです。
人は結局、釈迦の手のひらで、狂喜乱舞しているだけなのです。

自然を憎んでいるうちは、災害は繰り返すでしょう。

また、止むを得ないとはいいますが、自分自身でもある自然の中に、比較的低レベルだからという理由で、汚染した水を放出してはなりません。
自然、海に対して、人間とは相対する存在と考えているから、そのようなことが容易くできてしまうのです。
海が自分自身であったら、簡単には放水できないでしょう。
これは弱者切捨ての、相対的、差別的概念の延長ともいえる問題です。
低レベルだからいいということではありません。
人間にとって、当事者にとってのみの都合のよい論理で、問題をすりかえてはいいけないのです。
汚染されている水は水であり、もっともっと何とかする方法を見つけるべく努力すべきでした。

原発は遺伝子改変と同じ要素を感じます。
遺伝子をいじることは、自然になかった存在を人為的に作り出すことです。
いくら安全だと歌っても、どんな生命が誕生するかは作ってみなくてはわかりません。
それが人間自身にも制御できないものとなる可能性もあるのです。
だから、倫理的に大きな問題となりました。
いまだに医療の現場では、人間の生命をいじくることに、大きな抵抗がありますが、それは当然のことと思います。
原発も、自然界にないプルトニウムを作り出してしまいます。
そのプルトニウムは、半分の放射能になるのに2万4千年もかかるそうです。
一人の人間の生命よりも長いものを作ってはいけません。
作ったからには責任があるわけですが、これではどうやっても責任がとれません。
何万年も未来の子孫へ責任転嫁していくのは、非常に無責任だと思います。
自然界にないもの、作った本人が責任がとれないもの。
そうした意味で、原発と遺伝子改変は似ています。

自然と共に生きていることを忘れ、人間は特別だと思う心。
まずはそこから考えを改めていかなくてはいけません。
今までの「平和」な生活がひっくり返り、鎖国状態のなか、立ち上がらなければならないわが日本、日本人。
これからの生き方、これからのあるべき哲学の構築が、各自に求められていると思います。

自然を敵だと思い、さらに征服しようとするならば、たとえ奇跡的に経済的復興を遂げても、世界は心から相手にしてくれないでしょう。
そしていずれまた、同じような災害が繰り返します。
自然とともに生き、自然とともに呼吸する生活を目指すならば、経済の名の下では復興できなくても、世界から尊敬を集め世界の先陣を切って未来の地球のモデルカントリーになるでしょう。

科学を使うのならば、自分の手でオンオフができる範囲にとどめるべきで、自然界に無い元素を作るようなこともしてはなりません。
太陽光発電や、地熱発電などはどうでしょうか。
器具の生産に伴う副産物などはよくわかりませんが、上記の2点がクリアできるのであれば、許容されると思います。
でも、一番は、個人個人の意識の問題です。
電気やエネルギーを大量消費する生活、物質的な「豊かさ」から脱却することが何より大切だと思います。
そして自然に還ることは、結果としてそうなることだと思います。

少し立ち止まって、考えてみませんか。




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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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