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赤い花

赤い花

路傍に赤い花が咲いていた。

通りがかりのある人は、こう云った。
「赤い花はきれいだね。白い花よりも華やかに見えるね。」
ある人はこう云った。
「この花は、チューリップという名の花だよ。」
ある人はこう云った。
「もう花が咲く季節か。もう春で暖かくなったんだなあ。」
ある人はこう云った。
「雑草が茂っているから、花が負けてしまうかもしれないな。」
ある人はこう云った。
「花にはおしべとめしべがあるんだよ。」
ある人はこう云った。
「冬の間は球根になって、地面の中に埋まっているんだよ。」
ある人はこう云った。
「花がきれいだから、一本もらって家に飾ろうかしら。」
ある人はこう云った。
「香りはあまりしないのね。」


みんな、この花を見て、花のことを「わかった」気になっている。
そして「知っている」という。
しかし、本当にこの花が何であるかを「わかった」人は、この中にいない。
人々の知るは、識るではない。
見てはいるが、視てはいない。

人々の知るは、区別、差別、分別である。

赤は白でない。
チューリップはバラではない。
チューリップは雑草ではない。
チューリップは秋ではなく春に咲くものだ。
球根は普通の根とは違う。

すべて、他と区別して知った気になっている。

しかし、これら人々が、この赤い花の何を知ったといえるだろうか?

この花は何を言っているのか、何を考えているのか、また考えていないのか、何を思い何を伝えようとしているのか、意思はあるのか、感情はあるのか、話しかけているのかもしれない、自然の中でどういう存在なのか、人間にとってはどういう存在なのか、はたまた実在しているものなのか実在していないものなのか・・・

などなど、わかっている人は一人もいない。

花を知るためと云って、花を、花弁、おしべ、めしべに分解し、葉と茎と根に分け、さらに細かく顕微鏡でのぞいて分析しても、決してこれらの本当の花の姿はわからない。
あくまで、科学的専門的に解釈しただけの結果であって、そこに花の本体はない。

目で見、カメラで写し、顕微鏡に表れる対象は、対象本体本質ではない。
人はただ、自分の頭で都合よく解釈した対象を、そのもの自体だと錯覚しているにすぎない。
わかっていないのに、わかった気になっている。
だから、花の状況が変われば、まったくわからなくなってくる。
赤い花が来年紫に変わったらどうなるか。
チューリップが秋に咲いたらどうなるか。
全部、「異変」という言葉で済まされる。
科学で言う「知る」は、昏迷の世界へ踏み出したに過ぎない。

本当の花を識るには、まず人知への過信を捨てることである。
第一、 花を識る前に、人は自分自身のことも、ほとんどわかっていないのである。

花を見る。
ただ見るのではなく、視るのである。
何だろうと疑って見るのではなく、心から信じて視るのである。
花を信じて、自分が花になって視るのである。

そこにおいて、花は自己となり、花は自らが何であるかを語りかけてくれるであろう。

絶対矛盾は同一となり、不連続は連続となるのである。

これが自然界に厳として存する、絶対無の絶対的真理に近づく第一歩となる。




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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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