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陽だまり

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田んぼ青々

ぼくはカワラヒワという鳥です

スズメじゃないよ

それにしてもきょうは暑いなあ

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蝶がなる木

まずはこの爽快な写真をご覧あれ。



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家の庭に植えたイヌゴシュユの花に吸蜜に訪れる、ジャコウアゲハの群れ。

3年前に植えたイヌゴシュユに花が咲いたのは、今年が初めて。
高さ3m近くに育ち、白い小粒の、いかにも蝶たちが好みそうな、ヤブガラシに似た花を咲かせた。

当初は、アゲハ類のために植えた、ミカン科の植物の一つであったが、まさか当のジャコウさまがこんなに好いてくれるとは、想定外であった。

庭には、吸蜜用に、サンジャクバーベナやブッドレアを植えているが、ジャコウさんの集まり具合は、これとは比較にならない。

これほど、一本の木にジャコウが集まる風景は、比較的珍しいのではないだろうか?

アブやハチもいっしょに蜜を集めに、ブンブン飛び交っていた。

ちなみに、イヌゴシュユの別名をビービーツリーという。(bee bee = ハチ)

こうした華やかな蝶の舞いも、およそ2週間足らずで、そのはかなき一生を終え、見られなくなるのである。

今回は、ビービーツリーの開花時期と、ジャコウさんの羽化時期が、偶然一致したために見られた、珍しい光景であったともいえる。




今年2回目の羽化 まっさかり

現在、4月末の最初の羽化についで、今年2回目のジャコウアゲハ羽化が、ピークを迎えつつある。
「さなぎ保管小屋」から、毎日10匹以上の羽化したての蝶さんが、頃合を見計らって、「離陸」していく。

相変わらず、雨天のときに羽化することが多いようだ。
先日の豪雨の中でも、元気よく飛び立っていった。
しばらく雨の中を舞っていたが、羽が痛まないか心配になる。

山ほどあった、スズクサもすべて食べつくされてしまったので、今後、一気になくならないように、半分はネットをかけて保護しておくようにするつもり。

なかなか適切な保護計画を軌道に乗せるのは大変である。

なぜかわからないが、相変わらずスズクサとジャコウに惹かれ続けるわたしであった。
理屈で考えるよりも、自らの「内なる声」に従って生きていきたいので、これからもスズ、ジャコウ愛好・保護活動は発展させていくつもりである。

人間の本質理解

札束経済の世界は、もう少しで終焉を迎える。
価値があるものとしてこの世界で稼動していたオカネは、チラシと同じ、ただの印刷物となる。

すべては映写機で映し出されていた、マボロシの虚構であった。
テレビ画面のマボロシの映像に、わたし達は一喜一憂、狂喜乱舞していたのである。

テクノロジーに万能を求めたのも、前頭葉の暴走であった。
便利で優雅な暮らしを求めた代償は大きく、手を結ぶべき自然は、回復不能な状態に破壊されてしまった。

人間は、機械という化け物を作り、化け物の背中に乗って、後ろを振り返ることなく狂気の暴走を続けてしまった。

もうすぐ、この世界のすべての価値観がひっくり返る。
カネもカブも債権も、ただのモノとなる。

残るのは本質のみである。
本質とは何か?

本質とは、「正しい人間理解」である。
人間とは、狂気の暴走を止める、「抑制機能」が本来備わっているのである。
抑制を失ってしまえば、行き着く最終駅は、間違いなく自滅である。

欲を抑制する機能、それも前頭葉の「人間らしさ」を生む機能の一つのはずである。

正しい人間理解は、自己の欲を抑制し、人間関係においては、「信頼」で結びつけることで成り立つ。
ビジネスは、机上の計算、契約書、電子マネーのやりとりでなく、互いの信頼こそが、もっとも大切なツールである。

信頼のない社会は、相手を省みない社会であり、自分さえよければいい、という誤った方向性を持った社会である。
現代は、あまり他人の世話になっているのを感じにくい社会である。

しかし、決して人間は一人だけで生きていけないし、生きてきたわけではない。

人間というものの本質理解。
自己抑制と、協調性(信頼・思いやり・気遣い)である。

人間対地球としても同じことである。

これからは、正しい人間理解ができている人のみが、生き残り、再び世界を再生していく。
世の中には、そうした心の準備ができている人が、少ないかもしれないが、必ず存在しているのである。

何かのマボロシ、幻影、狂気に取りつかれているこの札束社会は、戦時中の日本や非トラーと同じである。
社会全体が、マヤクを吸っているのである。

戦後の日本は、いったい何を学んできたのであろうか?
自分とは何か、なぜ生きていかねばならぬのか・・・正しい人間理解を最も求めていた戦後の日本は、経済成長というマヤクを吸引し、狂気の中で、いつのまにか再び自分を見失っていったのである。

サクサク時雨

サクサク

サクサクサク

・・・

シャコシャコ

シャコシャコシャコ

・・・


なんと、これはジャコウ幼虫がスズクサの葉をモリモリ食べている音なのだ。

これだけたくさんの数の幼虫が一度に食べていると、葉をかじる音が聞こえてくる。

この音を聞いたことのある人は、世界でもわずかではなかろうか?

なんともいえない幸せの音である。



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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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