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自動車の電磁波

わたしも中古で一台所有しているが、ミニバン(軽や1300ccサイズ)は怖い。
よく、配達などで使用されている、街でよく目にするタイプの食パン型の車のことである。

何が怖いかというと、エンジンが運転席の直下に作られているのである。
運転席を後方に引き上げると、そこにはエンジンがむき出しになっており、地面も見える。

エンジンは強い電磁場を形成する。

例のごとく、電界と磁界を計測してみた。

恐ろしい結果が出た。

やはり座席上や足回り、つまりエンジンの周囲では10~20mG(ミリガウス)という高い磁場が確認された。
一方、アースはつけてないはずであるが、電場は運転席レベルでは、なぜかほぼゼロであった。

問題は磁場である。
磁場の世界的基準値は2mG以下である。
それ以上では発癌性が増すことが世界的に確認されている。

知らないうちに強い磁場にさらされているわけであり、これは見えないだけに重大な事実である。
長時間仕事でこのような車を運転する人は、特に気にしなければならない。

一方、セダンや2000ccクラスのワンボックスは大丈夫である。
エンジンが、前方のボンネットにあるからである。
ダッシュボードに近づけば、磁場は上昇するが、運転席や助手席レベルであれば、2mGを超えるか超えないか程度であった。

運転席直下のエンジンはまずい。

では、どうすればよいのか?

わたしは、磁場防御のシールド材を購入し、座席シートと足マットの下にうまく収まるように形を加工して、敷いてみた。
すると、事前にその会社から聞いていた通り、磁場の強さが半減したのである。
それでもまだ2mGにはならない部分もある。
そういう箇所は、磁場シールド材を、2重にして敷いてみた。

完全に基準値以下にはならないが、かなりいいところまで値が下がったことは確かである。

こうした自動車などから出る磁場は、低周波の磁界であり、一般的には遮蔽はほとんど不可能とされてきた。
インターネットで「電磁波予防」とうたってある商品のほとんどは、磁場には効果はなく、電界に対するアース機能しかない。
売っている側も、磁場についてよくわかっていないように思う広告ばかりである。

わたしが辿り着いたのは、ようやくホンモノと思える、ある商品であった。

ここで紹介するのは簡単であるが、勝手にリンクは貼れないので、興味がある方は連絡をください。
確実に力価で約50%、低周波磁場を遮蔽できます。

わたしの丹念に測定した結果が証明しているので、この品は本物だと思う。
ただ値段が相当に高い。

わたしはそれでも、見合う価値があると思って買ったわけである。

ちなみにデスクトップやノートパソコンからも強い磁場が出ているので、なるべくPC本体から離れて使用した方がよい。
わたしのデスクトップPCは、至近距離で8mGを示していた。

このシールド材は、PCの磁場も遮蔽可能だ。
PCが発するのも低周波磁界であり、やはりシールド材で前を覆うと、磁場は半減した。

見えない世界は確実に存在する。
見えなくていいものもあれば、よくないものもある。

わが国は、ハイテクの技術がある国家であるが、電磁場対策がかなり遅れている国であることを知っておく必要がある。
見えるものに強くても、見えないものには弱いのである。

これは「生と死」にも似ている。

見えないものは自分で考え、自分で守っていくしかない。

死も自分で受け入れ、考えていくしかないのである。


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聖夜のウマノスズクサたち

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宮古島のアリマウマノスズクサ。挿し木から花が咲くまでになりました。
少し花が咲くのが早いかな。温室内はいつも春!

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与那国のウマノスズクサ。挿し木が見事に生着し、ぐんぐん伸びています。

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宮古島のコウシュンウマノスズクサ。こちらも挿し木からぐんぐん伸びて、夏からずっと花を咲かせています。向春?恒春?

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ハナシンボウギのピンクの真珠。中に黒い種が一つずつ入っています。

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サルカケミカンも種から発芽して、少しずつ大きくなってきました。

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Aristolochia sp. Tiracambu#2 前回の報告からさらに伸びに伸び、花を咲かせまくりです。種から1年でここまでになりました。強い種です。

心を大事に

きょう、少額ではあるが、2つの寄付をしてきた。

昨日の記事に書いた、WWF「ヒョウの森を守ろう」へと、毎年参加している、オイスカの「子供の森計画」への寄付である。
オイスカは主に東南アジアの自然資源保護のために、現地で人的育成も手がけている。

2つの団体とも高志を持った人間が、現地で奮闘しつつ、自然を守る運動を啓蒙している。
自分は現地に行く勇気がないのであるが、少しでも今ここでできることをしたい。

アムールヒョウも、タイやインドの子供たちも森の木も、自分が生きている意味を表わす鏡であり、絶対矛盾的自己同一の存在である。
みんな、形や精神(意思)は違えども、生まれ持った「心」は同じである。
姿や意識は不平等でも、心は平等なのである。
そして、現在のこの地球という時間的空間的1点に収束して活動していることも平等である。

平等である「心」をどのように生かすかで、自分の人生の充実が決まる。
決して、カネを集め、名誉を得ることが人生の価値ではない。
生きている意味は、自分の価値を宣伝することではない。
相手(=他者)の価値を理解することが、自分の本当の価値である。
生きる意味を知ることである。

姿形や考え方(=意識)の違いで、相手を差別、拒絶してはならない。
常に誰かが誰かの犠牲になることで、命は生きているわけであり、自分も他者の「ため」にならなければ世界は存在し得ない。
それが命を造り、有を形成し、絶対無の絶対矛盾となって自己同一となり、この世を支配する原理となっている。

ヒョウも、東南アジアの自然破壊が進む地域の経済的には恵まれない子供たちも、すべては同じ「心」を持つ、自己同一的存在である。
彼らをないがしろにする心しか持つことが出来なければ、自分も存在しないに等しい。
そういうヒトは「生きる意味」をわからない人間である。

犠牲によって成り立つ世界なのだから、自分も「犠牲」になる精神を持たなければならない。
それが献身であり、思いやりであり、心遣い・気遣いである。
大きい範疇で、それは「愛」とも呼ばれる。

『われら動物みな兄弟』という本を上梓したのは、かのムツゴロウさんであるが、まさにその通りなのである。

「彼」の記録 ~人間賛歌 別章~

「何で俺なんかを生んだんだ!?」
母は泣き、男はやり場のない怒りとやるせなさに、初診アンケートで渡されたボールペンをへし折り、プラスチックの板もバリバリに握りつぶした。

男は心が閉ざされ、いつ爆発するかわからないほどささくれ立っていた。

高校生から自傷行為を繰り返し、精神的なトラブルを抱え続け、職を転々とした。
病院にはかかっても、医師を信用できず、すべて通院は1回きり。
彼の「心」を開いてくれる医師はいなかった。

男は返事もせずに、ギョロッと下からわたしをねめつけ、重い足取りでのっそりドアを開け、無言で診察室に入り、どっかと腰を下ろした。

訴えは、1ヶ月続く夜だけの発熱。

それについて調べたのは云うまでもないが、爆発しそうな「心」が一番の問題であることをひと目で察知したわたしは、最大限の注意を払って問診を続けた。
予想通り、腹部と腕には無数の自傷の切痕があった。

彼は、自分を「理解されない人間」、周囲から「必要とされていない人間」と思い込んでおり、「生きる意味」をまったく感じられない状況にあり、「なんとなく」すべてを他人のせいにして、30才を間近にしても病院に付き添って来てくれる母にある意味で「甘えて」過ごしていた。

ここでも「生きる意味」が問われている。
生まれつき、心が病気の人間はいない。
赤ちゃんはみな心は純である。
成長とともに「病」に侵されるのは「精神」である。

彼は人一倍、繊細でナイーブな心を持ち、欺瞞に満ちた裏切りの現実世界に耐えられなかったのだろう。
彼はこの嘘と利己的な社会の犠牲者でもある。

死ぬことはない。
人間は必ずいずれ死ぬ。
生きていてこそできること、しなければならぬことがある。
「心」の現実の純潔に自らが気づき、周りの他者もそれを思いやれる気遣いができれば・・・そして傷ついた「精神」を自らが治していく意思があれば、きっとまた元気だった頃の活気が戻る。

「死」は生きとし生きるものすべてが平等に享受するもの。
どんな職業であろうと、生と死はすべて平等だ。
各人で違うのは、今をどのように感じ考えて、生きているかである。
カネではない。
地位や名誉ではない。

今を生きていることに、特別な理由はない。
敢えて言うならば、それは宿命、無限の摂理である。
無に対する絶対矛盾的自己同一である。

しかし生きているこの世界の「現在」にわたし達は位置している以上、この世界における「責務」を果たしていかねばならない。
それは「他者のためになる、思いやりと気遣いの心」を持つことである。

「ありがとう」が世界を創る。


彼は最後に小さくこうつぶやいた。
「ありがとうございました・・・」
そして少し笑った。

きっと彼は、「誰か何かのため」になって、神様に呼ばれるまで、人生を自分らしく生きていってくれるはずだ。

その美しい「心」が彼には、しっかりと備わっている。

わたしは彼に出会えたことを感謝し、今日一日を生きられたことを神様に御礼をして、床に就いた。

出会いもあれば、すれ違いも有る。
それはすべて偶然でなく、偶然という必然の為せる現象なのである。
絶対矛盾的自己同一の世界は、どこまでも不可思議でそして合理的な矛盾を生み続けているのである。

西田先生、わたしの気持ちが通じますか?

わたしたちの2009年

かつての物々交換社会は、エネルギー保存の法則を保っていた。
しかし現在の、「信用」という架空かつ偽の言葉を使って膨張し続けた、虚空の世界経済は、一気にメルトダウンしつつある。

「信用」による貸し借りは、本当に相手のためを思った信用であったか?
いや、そうではない。
すべて自分のカネ儲けのための「信用」という虚言であった。
「信用」という息で膨らませた風船は、「信用」の息が切れた途端、元の大きさにしぼむのである。

来年からの数年は、今までわたし達が築き上げてきた世界が、一気にそのシステムを崩壊させる、稀に見る激動の時代になるはずだ。
ここ100年において、最も変化の激しい年がやってくる。

国があるかわからない。
家があるかわからない。
お金があるかわからない。
そして生きているかもわからない。

地震ですべてが崩れたら、そこにあるのは瓦礫の山と大地である。
そしてヒトや生き物がいる。

崩れても崩れても、まずヒトがいて、新生の材料となる「瓦礫」があり、基礎を築く「大地」があれば、また新たな家が建つ。
次は、「ためになる=思いやり」の心を「糊」として、家を建てよう。
それはとても強い世界の接着剤となる。

自分のためだけを考えた世界は、さっさと崩壊するがいい。

「ためになる心」だけが世界を支える力となるのだ。
生きていることは、つまりそういうことである。
この世界が存在するというのは、つまりそういうことである。

存在の意義から離れた世界は消失する。
それはもうすぐだ。

当たり前といえば当たり前の話である。

でも、この偽の世界を操ってきた黒幕は、また次の手を考えているようだ。
彼らにとっては、メルトダウンも「想定内」で自作自演。

次こそは・・・わたし達の時代にしたいのだが、どこまでも反対勢力がついてくる。
それも絶対矛盾的自己同一の原理なのか?
そうなると、もう阿呆らしくて考える気にもなれない。

自らが信ずる道を行くべし。
モナド的自分の役割と、モナド的世界の創生の意味をよく考えながら、わたしは西田師のあとに続いていきたい。

死後の世界のために、今を「良く」生きるのではない。
今を生きているからこそ、「良く」生きる=「思いやり、ためになる」気持ちが必要十分条件なのである。
それが絶対無の反作用=矛盾的自己同一なのである。

死よりも先に、生があるのである。

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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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