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新・悪の起源 4

Origin of Evil
 第4章 必要善


「食べられない」人間、そして「笑う」人間・・・

ヒトは死んだら火葬され、どの有機体のためにもなることがない。
つまり自己同一化を拒否した自己矛盾の存在がヒトである。
「食べられない」のは自己矛盾であり、自己同一の世界を征服した「笑い」がそこにある。

ヒトのような高等(?・・・それを高等と呼べばの話だが)知能を持たない、他の生命にとって、絶対矛盾的自己同一の原理は、結果として犠牲と慈愛の「絶対善」とも云うべき世界であり、それを遵守して生きている。
そして絶対善に向かって、個が生きることにおいて、利己的な行動である「必要悪」が生じている。

かたやヒトはどうであろうか?
自己同一の世界を拒否した彼らは、矛盾に始まり矛盾に終わる。
存在の本質に善なる同一化がないのであるから、それは「絶対悪」に支配されているといえる。

しかし絶対悪である絶対矛盾的自己矛盾の存在が、思うがままに振舞ったらどうなるか?
自分以外はすべて拒否するわけであるから、もしそこに「規制」というものがなければ、互いに殺しあって終わりである。
そこで、絶対矛盾的自己矛盾の世界が存続していくためには、「必要善」が必要になってくる。
必要善とは、つまり法律であり規範である。
思うままに乱れ走る車の群れに規則を与える交通信号である。

絶対悪の存在同士がよろしくやっていくためには、最低限これこれは守りましょう、と明文化したのが法律である。
・・・人を殺してはいけない
・・・人の物を奪ってはならない
・・・人を騙してはいけない
すべて、当たり前の善を言葉で表現羅列したに過ぎない。

ヒトは絶対善の存在ではないので、これら当たり前である善の事実ですら、「必要善」として誰の目にも明らかに訴えるしかないのである。
そして必要善を破ったものには、「刑」という懲罰が待っており、刑の恐怖で「必要」を必要として維持しようとしているのである。

集団における、互いの気遣い、ちょっとした思いやり。
これらは残念ながら、”必要”善である。
ヒトが集団として生きていくための「必要」な善である。

何度も繰り返すが、

絶対善と必要悪 ・・・一般生命と無機的有の世界(=ヒト以外の世界)
絶対悪と必要善 ・・・ヒトの世界

このようにまとめることができる。
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新・悪の起源 3

Origin of Evil
 第3章 絶対矛盾的自己矛盾


知能という道具を持ったヒトという有機体が誕生した。
ヒトは力学的には最強ではなかったが、その武器によって食物連鎖の頂点、いや、食物連鎖を見下ろす別次元に立った。

食物連鎖の頂点に立つ一般生命は、少数の子孫しか残せなかったが、ヒトは違った。
ヒトは、「食べられない人間」となり、しかも多くの子孫を残し、爆発的にその数を増やしていった。

ヒトも有の集合の一要素として、その本質に悪を忘れてはいなかった。
しかし生存競争に勝つ、利己的な必要悪の生命への執着は、知能という禁断の武器により、絶対矛盾的自己同一の善なるヴェールをも、ついに突き破ってしまった。

ヒトはかつての生命が不可能であった、自然環境をもほぼ手中に収めることに成功した。
さらに自らの食料として、自ら家畜や穀物を養殖生産し、矛盾的他者の犠牲に成り立つ生命の営みを拒否した。
近年は、DNA組み換えや種の改良など、有の1モナドとしては限りなく逸脱した行為を実行するまでに至っている。

こうして生きるために必須であった、矛盾的他者の犠牲(=自己同一)と自然環境(=無機的有の世界)との自己同一を無視し、ヒトはヒトを中心とした別世界を新たな有機的集合として形成するに至った。

つまりヒトは必要悪に知能という武器(=悪魔)を携えて、絶対矛盾的自己同一の善のシールドを破壊し、「絶対矛盾的自己矛盾」として自らの主張を始めたのである。

ヒトは世界を支配した。
ヒトは自然を支配した。
ヒトは神を忘れた。
ヒトは怖いものを忘れた。
そしてヒトは「笑い」ながら食事をした。

ヒトは矛盾的他者と自己同一になることを拒否した。
ヒトは新たな世界を築き、その中心となり、神を含め何者の助けを借りなくても生きていけた。

かつての生命は、矛盾的他者と自己同一となることが、自らを生かすことでもあった。
しかしそれは自らが死ぬことでもあり、必要悪とは善として死ぬために「必要」な悪なのであった。

一方、ヒトは生きるために善として死ななくてもよくなった。
ヒトは何者にも「食べられない」。
ヒトは何者の犠牲にもならない。
矛盾的他者はあくまで他者であり、ヒトは自己同一を拒否し、自己矛盾を貫き通した。
それでも生きることが出来た。

善のシールドを突き破った必要悪は、最早「必要」でもなんでもない。
善を拒否し無視した先にあるものは、ただ「絶対悪」と呼ぶにふさわしい存在のみである。

こうして形成された絶対悪の世界、それがヒトの住む世界であって、それは絶対矛盾的自己同一の原理を無視し拒否することで成り立っているのである。
もちろんそれはヒトが創造した新たな世界であるから、ヒトが中心であり「神」であり、本来の神はそこに存在し得ないのは当然のことである。

ヒトが崇拝するのは、善のシールドを破る原動力となった、知能(=悪魔)である。



新・悪の起源 2

Origin of Evil 
 第2章 必要悪


無の自己限定として誕生した有は、それ自体が利己的で悪であった。
その本質は生命の誕生に際しても確実に受け継がれ、生命はその存続において、限りなく自己中心的であった。
そうでなければ生存競争に勝てないからである。

生命誕生以前とその後における違いは、世界を構成するモナドが、無機物か有機物かの違いだけである。
有機体は有機体しか食せないので、有機体はその集合において、「共食い」をするしかなかった。
そこに食物連鎖のピラミッドが形成され、生息域は種によって整然と住み分けされることとなった。
力学的に弱い生物は無数の子孫を残すが、連鎖の頂点に立つ肉食動物は、1-2匹の子孫しか残し得ない。
小魚は何万と卵を産むが、ワシの卵は1-2個である。
それは頂点とはいえ、狩りをして食料を得るのにも相当の労力を要するからである。
1-2匹しか生まないのではなく、1-2匹しか育てられないのである。

強い弱いという形容詞も不適当である。
捕まえる方が強く、捕まえられる方が弱いと映るのは人間の目から見た風景だけである。
結果的に強いものが生き残る・・・これが生存競争の原理であるが、必ずしも連鎖の頂点に君臨する力学的強者だけが安楽に生き残れるわけではない。

食物連鎖のピラミッドなる形を考案したのは人間であって、実際はそれぞれの種がその各々において重要な役割を果たすことによって、生命界は存続している。
小魚もワシも、互いに絶対矛盾であって、かつ自己同一なのである。
彼らはそれをわかっている。
自分が生きていることは食べられ、そして死ぬことであることを。

力学的弱者は強者に食べられる、しかし力学的強者も餌を獲れなければ、即、死が牙をむいて控えている。
そして彼らの誰もが、自然環境にはかなわない。
旱魃、洪水、山火事、氷河期・・・
彼らが暮らすのに適切な環境があってこそ、彼らは生きていることが出来る。
生命は環境と一体的存在であった。

有機物である彼らすべては、無機物が作る「有」の集合内においては、環境という矛盾的他者との関係において、常に絶対矛盾を形成すると同時に、常に自己同一の関係にあるわけであった。

絶対無の自己限定として有(無機的世界)が生まれ、有(無機的世界)の自己限定として有機的世界(生命)が誕生した。
しかし、有機は無機と自己同一であり、また無機的有は絶対無と自己同一なのである。

この絶対矛盾的自己同一の原理の傘下に収まっている限り、そこには「善」が存在する。
利己的な悪の存在である有においても、それが無機的世界であろうが有機的生命世界であろうが、矛盾的他者の犠牲の上に成り立つ世界は、善に包まれている。
自己中心的に生きることに奔走してきた生命は、いつか他者に食されることで善の星となる。

矛盾的他者を犠牲とするとき、力学的強者が「笑」わずに神妙な顔をしているのも、彼らが絶対矛盾的自己同一の善なる営みの中に身を置いている証拠である。

そもそもが悪である有は、善なる絶対矛盾的自己同一のヴェールで包まれているのである。
だからこそ悪は善の中で安心して振舞うことができるのだ。

こうした有の世界における悪は、それが存在の本質であることから「必要悪」ともいうことができる。

世界はこうして絶対無から無機的有、生命的有と自己限定を繰り返し分化しつつ、絶対矛盾的自己同一の原理の元で、悪と善の安定したホメオスターシスを保ち、時間を消化してきたのである。


ある種の有機体が出現するまでは・・・。

沖縄雑記

数日の休暇を利用し、ほぼ毎年恒例の沖縄(本島)に行った。

1)以前は石垣、宮古が北限のベニモンアゲハに、本島でも普通に出会えた。飛び方がジャコウに似ているので、車を運転していて前を急に横切っても、そのどちらかであることはすぐにわかる。「フワフワ」飛ぶのである。良く云えば人懐こく、悪く云えば、少し間の抜けた飛び方だ。そして翅の中が見えた瞬間、モンキアゲハのような白い紋が目立つので、ベニモンであることが判断できる。沖縄本島のウマノスズクサ類は、リュウキュウウマノスズクサのみ。彼らはこれを食草としている。一方、石垣など八重山は、アリマウマノスズクサである。リュウキュウとアリマは葉だけでは区別できない。花を見れば一目瞭然なのだが。しかし、その分布から、奄美、沖縄本島はリュウキュウ、八重山、宮古はアリマである。今は花の時期でないので、残念であったが、国道沿いにも所々リュウキュウウマノスズクサの大きな丸い葉を確認できた。でも昔より相当、数は減っているように感じた。

2)サルカケミカンを偶然目にすることが出来た。昔は海岸沿いに多く自生していたそうだが、今は滅多にお目にかかれない。シロオビアゲハの食草だが、もっぱら彼らは栽培種のシークワーサーを食べているようだ。

3)ガソリンが安い。しかしセルフでの話。沖縄はほとんどがまだフルサービスだが、フルは179-181円。それに対し、セルフは157-161円と驚異的な落差だ。本来、人件費を考えると、これくらいの差はあっていいのかもしれない。

4)マンゴーがブームになっている。地元客がほとんどで観光客は滅多に訪れない、JAのマーケットを巡ったが、それでもどこもかしこもマンゴーフェアだった。まるでかつてのゴールドラッシュのようだ。昔はマンゴーなど栽培されていなかったように思うが・・・。いずれブームが去ったときのことを考えると、複雑な気持になる。とにかく、ヒトが求めることをしなくては、いくら沖縄といえどもカネにはならないのだ。

5)ホワイトサポテというミカン科の果実を購入してきた。わたしは苗を自宅に持っている。まだ熟れていないので食せないが、どんな味なのか楽しみだ。マンゴーに次ぐブームになるのではという噂もあるが、まだ売っている店はほとんどなかった(時期じゃないのか?)。

6)沖縄も着実に環境破壊が進んでいるのを実感した。中部地域まではあちこちで開発の工事が目についた。北部やんばるのみが、まだ比較的ひっそりと息づいている感じがした。

遥かなりし宇宙

7/7 SW.comより

183.jpg

7/5 (左上から右下へ)土星、火星、レグルス(しし座の一等星)、三日月が直列

Mooselookmeguntic Lake (Franklin County and Oxford County, Maine, United States)から宇宙へ橋を架けた。


宇宙は雄大なり。  by 地球人


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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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