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善悪戦争

道をせわしなく行き交う自動車。

営業のトラックも、レジャーに行く家族連れも。

電車も通勤ラッシュだ。

小道に入れば、商店が軒を連ね、子供が駆けずり回る。

病院は、常にほとんどがくだらない症状を訴える患者でいっぱいだ。



みんな、「生きる」ためだ。



営業のトラックは、仕事で給料を得るため、つまりは食っていくため。

レジャーに行く人も、生きるためにリフレッシュするため。

満員電車の人たちも、生きていくお金を得るために働きに行く。

商店もそう。

子供たちも生きる本能が働いているから、駆けずり回って遊ぶ。

病院もつまりは、「生」を売る営業である。



みんな、本気で「死」にたいと思っていたら、このような風景は見られないはずだ。

あたり一面、自殺者の山となり、街は死臭と倦怠が漂う廃墟となろう。



当たり前のようなことであるが、何故みんな意識が苦しんでまで、「生」きようとするのか?



生きている限りは、知能を得た人間には、必ず全員に善悪が存在している。

善と悪は常に個人の中で熾烈な戦いを行い、意識と行動を決定している。

個人の善悪は、組織的な善悪につながっていく。

つまり、人間が生きているということは、善悪の戦争をしているようなものだ。



「善」は世界を創造的に、霊的に高める方向に作用する、「アゴニスト」だ。

「悪」は世界を滅ぼす方向に作用し、霊を省みることをしない、「アンタゴニスト」である。



わたし達の体の中の細胞の、数々の信号を伝達している無数のレセプターにも、アゴニストやアンタゴニストが作用している。

それらの複雑な作用の結果、人間は生きている。



この宇宙、絶対無から生まれたこの「有」なる世界も、善と悪というアゴニストとアンタゴニストの化学物質が、複雑に作用しあって、相戦い、形成されているのである。



以前に述べたように、世界は必ず「模型」で説明されるべきである。



そのどちらが勝つべきであるか、負けるべきであるか、については別の次元の問題であり、今後考えていきたい。



人間が誕生して活動している、この世界の「現状」は、「善悪戦争」であり、そのお互いが牽制しあって形成されている、という事実を今回は考察した。



辿り着くべき場所はどこなのであろうか・・・?

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命の同胞

わたし達は土くれや石ころは食せない。



目の前にある食物は、わたし達と同じく「生きて」いた。



果てしない無数の命の「同胞」を殺し続け、わが身を生き永らせているのは何故か?



なぜ、生きていく必要がある?




無理に生きようとし、「生」に傾斜し過ぎると、「悪」が芽生える。



それを「欲」と呼ぶのかもしれない。




生きる必要、生きる目的・・・



それらは答えのない答えを探すようなものかもしれない。



でもわたしは、それを探し求め続けたい。




殺人のニュースが毎日流れているが、わたし達の誰もが「殺し」の職人であることを忘れてはならない。



捕えられ殺される生き物の側から見れば、人間は怪物で悪魔でしかない。



3度の食事の本質を忘れ、自分の命のことしか考えられない人間は、おかしいと思わないか?

悪の起源 2.1

とにかく「禁断の木の実」を食べた、知的生命は善悪を知った。



善だけの存在であった宇宙から、悪が分枝した瞬間だ。



人間には悪がある。



ヤハウェの教えを破り、木の実を食べた、アダムとイブも楽園から追放された。



弟アベルを妬んで殺害したてしまったカインは、命だけ保障されて荒野に追放された。




とにかく、わたしたちの心には善悪が同時に存在する。



「シュレーディンガーの猫」となって、必ずそのどちらかの面が現在において表出されているに過ぎない。



そのことを十分自覚して生きていく必要がある。



悪も理由があって誕生したはずだ。



悪をも上手に手綱を操る方法を探していかねばならない。



それが、原罪をかかえて生まれたわたし達人間が、未来を創るために必要なことかもしれない。

悪の起源 2

生命の誕生は、生命を持たない無生物の存在を逆に確立することになった。



生命は、肉体を持ち(植物も体を持つ)、矛盾的存在の意識を持つことになる。



その活動は、「現在」において「純粋経験」を行うことにより他者と自らを実存させ、また、「行為的直観」を行うことにより、世界を「作られたものから作るものへ」と創造していくことでもあった。



つまり、生命の誕生によって、この世界は初めて「実存」が可能となり、わたし達の宇宙を含む有限の物質的「有」の世界が、「絶対有」として確立されたのである。



そして、「絶対有」の確立は、「絶対無」の存在を矛盾的同一の存在として認めることでもあった。




同様に、知的生命の誕生によって、知的ではない生命との境界が鮮明になった。



光は、闇の中にあって「光」たり得るのと同じである。



知的生命は、「悪」を生み出す能力があった。

言い直せば、「悪」を自認するだけの知能があった、ということでもある。



「悪」の誕生によって、それまでの「善」が善として認識されるに至った。

悪によって、善悪の境界が鮮明になったともいえる。



絶対有の確立(この世界の実存)は、知的生命でなくても純粋経験ができる普通の生命体でも可能であったわけである。



そうすると、「神」が知的生命に託した目的とは、「善悪の誕生」なのである。



聖書の創世記、失楽園物語では、ヤハウェ神の命令に背き、蛇のいう通りに「禁断の木の実」を食してしまった。アダムと彼の女(イブ)は、以後、賢くなり、善悪を知るようになる。

聖書では、善悪を知るとは知恵がつくという意味で記されており、以後、アダムとイブは裸でいるのを恥ずかしいと感じるようになったのである。



ところで、創世記では、神は「言葉」によって、天地や人間、動物を6日間で創造した。

また、エデンの園では、神は大地の「塵」から人間(アダム)を作り、アダムの肋骨からイブを作った。

この場合の神は「ヤハウェ」であるが、このヤハウェとはどういう存在に位置づけできるのであろうか?



最初の論理で行くと、ヤハウェはつまり、「絶対有」を作り、「生命」、「知的生命」までもを作ったわけである。



しかし「知的生命」となったアダムに対しては、最初はエデンの園の「禁断の木の実」を食べないように指示していたわけで、あくまで人間の形を作っても、「知的」となって善悪を知るようになることは、望まなかったようでもある。



つまり、神は悪の誕生を希望していなかった。

善悪を知る木の「禁断の木の実」を食べたのは、蛇の誘惑があってこそであった。

すると、善悪の誕生、知的生命の誕生は、神ではなく蛇によって行われたとも云い得る。



物語では「蛇」と描写されているに過ぎないが、この蛇こそが「サタン」である可能性がある。

すると、知的生命はサタンによって誕生させられたことになってしまう。



だんだん複雑になってきたが、いよいよ面白くなってきた。


ノラ猫

ぼろ雑巾のやうになって、路肩に投げ出されている



ノラ猫の死体



さっきまで、目を爛々と輝かし、耳をグルグル動かして



自然と戯れていたであろうキミは



車に轢かれるまでのキミは



いったいどこにいってしまったのであろうか





すべての疑問は、この答えを見つけることから始まった。



歴史上の誰も明快な答えを導き出せていない、



困難で長い道のりが続く。


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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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