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フルマラソン完走

 ついに目標の一つがかなった。

一昨年の暮れから、皇居ランナーを始め、その後、通勤ジョガーと化し、昨年は6回のハーフマラソンに出場し、今回ついにフルマラソン42.195kmに初エントリー。

 

 事前のトレーニングもさぼり、調子も相変わらずで、ぶっつけ本番である。朝は体温も37度あったが、走り始めたら爽快そのもの。でもさすがに42キロは手ごわい。21キロは1時間55分で通過したが、31キロと35キロで太ももが痙攣。しばしストレッチングして走り始める。その後も1-2キロ走ると足がつり、その都度足を伸ばす。絶対完走してやるという意地だけで走った。



 タイムは目標の4時間13分(時速10キロ)はおろか、4時間30分台であった。でもそんなの関係ねえ。ようやく1年4ヵ月ごしに、フルマラソン完走という夢がかなったのである。4時間30分程度なら御の字だろう。時速に換算すれば9.2キロである。歩くハイキングではなかった。



 今年はもう3回くらいフルマラソンに出たいが、弱点はわかった。下肢の筋力不足である。もっと走りこむか、ジムで下肢の筋トレが必要だ。

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幽霊社会

地球は有限の存在であるから、そこに暮らすわたくし達も有限の存在である。

わたし達は今まで、カネは無尽蔵に生み出せる存在とでも思っていなかったであろうか?

サブプライム問題に端を発した世界経済リセッションで、ついに「無限お化け」も化けの皮をはがされつつある。



地球の総資産は一定である。

地下に眠る石油、石炭、天然ガス、それらを燃やし、鉄を掘り出し、木を切り倒し、水をくみ上げ、わたし達はそれらを豊かさと便利さというエネルギーに変えてきた。

変えたのは科学という技術が媒介したのだが、原料はもともと有限の地球資源である。

E=mc²
必ず、エネルギーは質量から転化される。

決して無から有は生まれていない。

サイババのように手を振るだけで、金は出てこない。

すべては質量転化、物々交換の世界である。

カネがその物々交換の手段を果たしているのは、以前にも書いた。

わたし達は働いた交換としてカネを給料として受け取り、そのカネで食料を買って手に入れる。

カネを媒介にした物々交換の世界が、現在成り立っている世の中でもある。



単純な物々交換の世界であれば、そんなに深刻な問題は起きない。

それがローンという、物々交換を無視した暴君が現れることによって、世界はおかしくなってきた。

ローンとはまだ働いてカネを得ていないのに、これから将来働けば稼げるであろうカネを仮定し、それを現在において一気にサイババの手のように出現させてしまおうというオゾマシイものである。

働いてカネを得るという、因果関係が逆転してしまっているのだ。

カネがまずありきで、それから働く。



ローンで買った買い物は、物々交換で得た代物ではない。

将来予定通りに働いて返せる人はまだいいが、未来はわからない。

返せる人がすべてではない。

それに返したとしても、ローンによる購入時の評価額と、ローンを返し終わる未来における評価額は異なるであろうから、単純に物々交換が長い年月をかけて完成したとはいえない。

それは違うものに対する物々交換になってしまっている。

あくまで、「有」であるわたし達は、「現在」において「行為的直観」により活動し、空間的世界を創造していかなくてはならない存在なのである。



地球本来の、「有」である有限の世界の基本である、物々交換が破綻した世界、それがローンであり借金である。

それはわたし達の本来の活動の拠点である「現在」を無視したからこそ、起こりえる事態なのである。



現在においては交換出来るわけのない虚構マネー、お化けのカネが飛び交ったら、世界は一気に巨大化し景気が良くなったかのような錯覚に陥るのである。

そしてそこには必ず、それで巨大な利益を貪っている輩たちがいる。



しかしそれはあくまで実体のないカネであり、物々交換で成り立っていない嘘のカネなのである。

実体のない幽霊として急激に膨張した世界は、いずれそのガスが抜かれ、本来あるべき実体の大きさにしぼむ。

今がまさにそのときだ。

まさにガスが抜かれようとしている。



カネに今までの価値を持たせることは不可能であり、幽霊として巨大化してしまった分の体積で除されなければならない。

本来の地球の総資産を100とすれば、今の世界はそれが200にも300にもなっている。

ここ数十年は、それでもわたし達は、実際に200にも300にもなったように騙されていたが、今はそれも限界だ。

幽霊は正体を暴かれ、ガスが抜かれてしぼんでいく。

200、300にもなった世界は、元の100の世界に戻らなければならない。

そのためには、わたし達の共通の価値を1/2、1/3にすることが必要となる。

それはつまり、カネの価値が下落することだ。



本来あるべき以上の量の札束が市場に乱舞しているわけであるから、人々がこの幽霊世界の現状を知ったときに、自然とハイパーインフレが生じてくる。

金融恐慌を防ぐために日銀は輪転機を回し続ける。

藤原N氏曰く、日銀の役目は「紙の卸売り問屋」以外の何者でもない。

トップを誰にするかで利権争いをしているのは、相変わらずだ。



日本もヒトゴトではない。

日本は自身の国の借金が、公表されているだけで800兆もあり、隠れ借金も含めれば2000兆は超えるといわれている。

国債を含め、「現在」の世界から逸脱している借金という存在は、何度も言う虚構マネーであり幽霊経済である。

今回のサブプライムと同じで、人々がもうこの借金は返せるわけがないと実感したとき、日本の価値は実体に戻るために膨れた虚構マネーの分で除される事になる。



本当は世界の誰もが返せるわけがないのはわかっている。

でもみんな幽霊でいたいのである。

便利な生活、豊かな暮らし、そういう幽霊の背中に乗っていたいのである。



あらゆる界のトップたちは質量の転化ではなく、責任の転嫁がうまい。

日本のお家芸のたらい回しも順調だ。

これからも短期間に何人も総理が変わることだろう。

トップが責任を取って辞めても、何も変わらない。

本人も辞めればすべて終わりで、特に損害もない。



すべては幽霊なのだ。

自由にやり、嫌になって都合が悪くなればさっさと辞めればいい。

そういう社会がまさに今の世である。



ローンや借金というシステムも、一体誰が考え出した代物なのか、洗い出して考える必要がある。

このような金融システムを作ったのは、一部の富裕資産家層のはずである。

そして、みんなそのローンや借金という幽霊に取り憑かれ、未だに取り憑かれたままであるどころか手放そうとすらしない。



しっかり足元を見て生きていこう。

貧しくても便利でなくても、幽霊に乗っかっていてはいけない。

実体を感じて生きていこう。

幽霊に取り憑かれていては、魂の修行はできない。

魂の修行とは、わたし達の生きている意味に直結する大事なものだ。

幽霊は魂を食い荒らす。

幽霊の呪縛から解放されたとき、今までの不便は不便でなくなり、貧しさは真の貧しさではない事が理解されるであろう。



そしてもうすぐそのときはやって来る!

心ある人は今からその準備をしておくといい。


春の目覚め

はっきりと春がやってきた。



暖かな陽気に誘われて、庭で足元にカエルが跳ねていた。

冬眠から覚めたんだね。

まだよたよたしていたけど、とりあえず無事でよかったね。

まだ友達が見当たらなくて寂しいでしょうけど、もうしばらくの辛抱だね。



ビオトープの池を覗くと、メダカが元気に群れ泳いでいた。

寒い日には厚い氷が張っていて、息ができるか心配だったけど、元気でよかったよ。

わが池でメダカを見たのも、今年初めて。

寒い日が続いたときには、枯れた水草の隙間でじっとしていたんでしょう。



はっきりと春がやってきた。



もう少しで木の芽も芽吹くことでしょう。

そして虫が飛び、蝶が舞う、にぎやかな季節になるでしょう。



今年も春がやってきた。



また一年、きみ達と一緒に過ごせます。

魂の世界に行く日まで、どうか今年もよろしくね。

わたしは心からほっとする。

続 つながりゆくモナド

潜水家の、故ジャック・マイヨール氏は、こう云った。

「呼吸とは、この自分と母なる地球とをつなぐ臍の緒である」

彼は素もぐりで、水深100m以上の深さまで潜ることができる。

そのためもちろん呼吸に関して、彼はとてつもなく洞察が深い。
これをつながりという点で考えれば、呼吸によって、わたし達は、A2+B1+C1のつながりを地球に対して持っているといえる。(前項参照)




感情についても考えてみよう。

わたし達は、君子聖人でもない限り、ふつう喜怒哀楽、愛憎など複雑な感情を持って毎日を生きている。

現実には、各々の力関係や利害関係が絡み、それにさらに感情が蔦のように絡みついて、竹で割ったようにはいかない湿っぽい世界がいつも広がっている。

個人と個人だけではなく、国と国の間でもそうだ。

好きか嫌いか。

とにかく最終的に、対象が人間であろうとあるまいと、このどちらかの感情が必ず生じるはずだ。

なぜか?

感情という「道具」を使って、相手とつながろうとするからである。

つながらなくてよいのであれば、感情など無用の長物だ。

だから、前項で述べたように、相手への思いやりには、B2のつながりが加わってもいるのだ。

しかも時間的過去や未来も思いやることが出来るので、C2のつながりも加わっているのである。




わたし達は生まれてきた瞬間から、孤独な存在である。

孤独なモナド(=単子)だ。

モナドは単独的存在ではモナドとは成り得ず、集合的世界の中の個物としてのみ力を発揮し意味を成す。

孤独はつながりを求め、つながりは孤独を求める。

孤独とつながりは表裏一体、「シュレーディンガーの猫」なのである。

オセロの玉が表裏で白黒が交互に入れ替わるように、それは常に表か裏かで入れ替わっている。

箱を開けたら白という孤独だったか、黒というつながりだったのかは、わからない。

一定の存在確率の下で、それは交替して入れ替わり続けている。

電車の中で携帯に集中し、つながりを求めている人は「猫」、そして逆に孤独を求めて深山で暮らす人もまた「猫」であり、箱を開けたそのときの猫の表現形が異なっているだけなのである。



わたし達はつながるための多くの手段を所持している。

思いやり、気遣い、愛や憎しみという感情、それに呼吸や睡眠、食事に至る行動まで、そして交通手段や情報連絡手段もそう。

すべてがつながりを求めるための方策である。

つながることはモナドがモナドたる宿命であり、それはまた絶対無の究極の自己限定である「有」の世界を形成するために、必須の行為といえる。

わたし達の日常の気にも止まらぬ些細な行為でさえも、必ずモナドとして意味のあることを為している。



また一方、つながりを求める「猫」に対し、孤独を求める「猫」も同時に存在しているわけだ。

都会の人ごみに集まりたがるくせにプライバシーを気にするところも、この表れであろう。

自分の中で、「一人になりたい」と思う、そんなときが必ず誰にでもあるはずだ。

これもまた、箱の中の「猫」としては当然の表現であり、こういう孤独な気持ちも、他を思いやる「つながる」気持ちと同様に大切にしなくてはならない。




今回のシリーズでは、この世界における、「つながり」と「孤独」の必然性と一般性について考察してみた。

しかしその詳細については、さらにつめて考える必要がある。

例えば、どのような「つながり」が集合的モナドにおいて、一番望ましいのか?

現在の破滅に向かって驀進する現在の世界では、どのような表現形である「つながり」もしくは「孤独」が間違っていたのか?

また今後考えてみたい。

おそらくは「バランス」という観念に行き着くのではないかと、うすうす思っている。




とにかく世界は複雑系である。

しかしその複雑系を、極力シンプルな法則で表現することが出来れば、世界の成り立ちはわかりやすくなり、自ずと歩むべき正しい方向を見つけることが出来るはずだ。

その方向とは、生まれ来た者が死にゆく正しい方向であり、創造されてきた世界がさらなる未来へと進むべき正しい方向である。

ここに、その法則が一つある。

絶対矛盾的自己同一の9文字で表わされる法則である。

あつかましくも数学的集合写像論で書いてみれば、それは次のように表わすことができるかもしれない。



f : A→B, {b1≠b2}∈B , {f-1(b1)=f-1(b2)}∈A



ここでAという集合はBという集合の弁証法的一般者の存在と考える。fという写像は、AからBへの自己限定である。逆にf-1は、BからAへの自己同一である。

Bの世界では(例えば現世)、その元であるb1,b2・・・は互いに絶対矛盾(イコールでない)であるが、それらがAの世界(一般者の世界)へ逆対応されると、互いに同一的存在になる、という内容である。

そしてfとf-1が無限に繰り返されて、世界は存在しているのである。


箱の中の「猫」の生(b1)と死(b2)も、箱を開けた世界(B)においては表現形が異なっていて矛盾であるが、箱を閉めたままの世界(A)においては、その本質はまた同一であるのである。



それはまた、次のことも教えてくれているように思う。

表現形を見ずに本質を見よ。しかしまた、異なる表現形もそれなりに大切である!

箱を開けた猫も大事だが、箱を閉めたままの猫も大事なのである。

矛盾と同一、そのすべてに大切な意味があり、この現世から絶対無へ続くすべての次元の世界がわたしとあなたを含んで存在しているのである。

つながりゆくモナド

電車の中で必ず目にする風景。

携帯をやっている人、また人。

メールなのかネットなのか、そんなのは知らぬが、その向こうには見知らぬ「誰か」がいる。



人はどうして、こんなにも「誰か」とつながっていたいと思うのであろうか?

きょうの疑問はここから始まる。




携帯に限らない。

メールやネットがどこかの誰かと「つながっている」のは周知の通りだが、新聞やテレビもそうである。

記事を読む、ニュースを見る。

人は記事やニュースによって、自分の直接経験していない世界とつながろうとしている。



本を読む、演劇を見る。

読書も観劇も、既に作られたドラマの世界に入り、その世界とつながろうと試みる。



旅行をする。

まだ知らぬ空間的世界に自らをつなげようとする行為だ。



観点を変えて、食事はどうだろうか?

食物という間接的媒介物によって、明日の自分と時間的に肉体をつなげるためのものだ。

睡眠もそう。

寝ることは、肉体と精神を休めて明日につなげる。



人を愛することはどうだろうか?

体の関係を持つことは、直接的なつながりそのままだ。

しかし小さな気遣い、思いやりでさえ、自分でない相手と意識でつながろうとしていることに他ならない。

対象が人でなくてもペットや植物、動物たちを愛しく思う気持ちも同様だ。



逆に他者を嫌いに思うことはどうであろうか?

実はこれもマイナスのつながりに他ならない。



こうして考えてみると、他にも無数のつながりがある。

わたし達は一人では生きられないし、現実に生きてはいない。

生まれてから死ぬまで、ただ一人ですべてを完結できる生物などいない。

単純に生命体が親という別の個体から生まれてくる以上、すでに個体としての「つながり」は宿命である。



しかし生物種によって、つながりを求める程度はかなり異なるのも事実である。

強い種(食物を単独で得ることができる種)ほどつながりは希薄であろう。

トラやチーター、ワシなどを考えたらよくわかる。

親と子の関係を離れた後は、群れを作らず狩りも単独で行う。

食物連鎖の頂点に立つ彼らは、それほど強いつながりを求めはしない。



もう少し弱い種であれば、狩りを集団で行って獲物を獲る。

少し「つながり」が個体間同士に生まれてくる。

群れを作って生活する生物種はだいたいがこれに当てはまる。



もっとも弱い種のひとつ、人間は、ある工夫をした。

人間はタイマンでライオンに向かっても、100%負けてしまう。

そこでお決まりの群れを作って生活するとともに、「道具」を使って立ち向かった。

道具は、獲物を捕る槍や矢だけではなかった。

人という同種の群れの中で、お互いがより強くつながり合うための「道具」も発展させた。

それが現代社会を支える、ネットや情報、そしてカネである。



種として弱いものは、団体を作ることで共同で身を守る。

海の中の小魚の群れをみてみよう。

数千、数万という群れで、1匹は小さくても大きな体に見せている。

いってみれば、言葉は悪いが「偽装」だ。



つまり強い種は偽装せずに生きていけるが、弱い種ほど偽装しなくては生きていかれないのである。

弱い種である人間は、「つながる」ことなくして生きていけない。

まず、同種である人とつながって、食物を連帯して得ていかなければならない。

「道具」という自分たちを偽装するための手段を極端に発展させて、人間は個体では弱いながらも「偽装」を重ねて種としては地球で最強となった。



今までみてきた中で、「つながり」にも色々なタイプがあることがわかった。

 A1) 同種とのつながり

 A2) 異種とのつながり

 A3) 自分とのつながり

また観点を変えれば、

 B1) 直接的なつながり(道具を使わない、偽装しないつながり)

 B2) 間接的なつながり(道具を使う、偽装したつながり)

さらに次元を変えれば、

 C1) 空間的なつながり

 C2) 時間的なつながり

 C3) 霊的なつながり (虚数i)

などである。



さしあたって、電車の中の携帯メールは、A1+B2+C1である。

性交は、A1+B1+C1。

相手への思いやりは、A1+B1/B2+C1/C2。

植物を愛でることは、A2+B1+C1/C2。

睡眠は、A3+B1+C2。

食事は、A3+B2+C2。



 * C3についてはまたいずれ考察してみたい。




わたし達はそれぞれが絶対矛盾的なモナド的存在であり、存在としては絶対孤独なものある。

なぜならどうあがいても、わたしはあなたではなく、あなたはわたしでないからである。

そしてそのモナド自身も、自己の中に、「シュレーディンガーの猫」で表わされる自己矛盾を抱えた存在であることは前に詳述した。

しかしモナドは複数形であるからこそモナドなのである。

世界に自分ひとりだったら・・・? と考えてみたらなんとなくわかる。

おそらくそこには、「自分」という概念すら誕生しないはずだ。



他者がいるから自らが存在する。

わたしはあなたを映し、あなたはわたしを映す。

映し映され、わたし達は存在している。

その「映す」という観念的な言葉は、つまり「つながる」という実際の行為的経験でもあるのである。



絶対矛盾的存在のモナド的わたしは、他者の矛盾的存在であるモナドとつながり合うことで、わたしというモナドで有り得るのである。

偽装しようがしまいが、とにかくつながる。

つながりなくして存在はないのだ。




以前に孤独の解消法について述べたことがある。

 1) 他者(人、異種の生物など)とのつながり

 2) 自分の内なる時間(過去・未来)とのつながり

この2つが孤独解消法であり、特に2)はほぼ人間だけに許されたものであるとも述べた。

友達とのおしゃべりやメール、恋人家族がいるかいないか、そんなことだけが孤独解消でないことは、もう既に明らかであろう。



ではなぜ孤独は解消されなければならないのか?

答えは簡単明瞭だ。

孤独は孤独であるだけでは存在できないからである。

言い方を変えれば、「つながり」あえるということは、モナド的個物それ自身が孤独であるからである。

わたし達すべての個物、モナドは、それ自身が孤独であり、互いに絶対矛盾的存在である。

そして矛盾的存在だからこそ、「つながり」を求めて存在しようとする。

それが孤独であるモナドの宿命なのであり、そしてモナドが孤独であるための宿命なのである。



考えてみれば当たり前である。

この世界における無数のモナドも、より上位にある一般者の世界においては、自己同一として存在しているのである。

同一的存在の自己限定として存在しているわたし達孤独的モナドに、本質的に「つながり」あって同一化しようとする潜在的な宇宙意識が働いているのは当然かもしれない。



電車の携帯メールから話がここまで飛躍してしまった。

世の中のすべての行為や思考、潮流は、必ず論理的に説明できるものでなければならないのである。

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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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