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オオミズアオとの再会

外は土砂降りの雨。
国道も下水道から溢れる雨水で冠水していた。

いつも立ち寄るセルフスタンドで、何気なく釣り銭受けに手を入れたら、何やら白っぽい紙のようなものがすぐ横に張り付いている。
ちらしの紙?
ではなく、よく見たら、「オオミズアオ」が釣り銭受けで、翅を休めていたのであった。

おそらく、夜、スタンドの灯火に飛んできたのであろうが、折りしも激しい雨が降り始め、朝になっても飛び立てずに、雨宿りを決め込んでいたのだろう。

それにしても、私の前にこの給油機を使ったヒトは、気づかなかったのだろうか?
それとも気持ち悪くて、手を触れずに、釣り銭だけ慎重に取り出したのだろうか?

オオミズアオは、ヤママユガ科に属する、大きなガである。
ガと聞くと、拒絶反応を示すヒトが大半であろうが、オオミズアオは大変美しいガである。
透き通るように白青く、一見アゲハのような形の曲線美ある翅を持つ。
翅を広げれば、幅10センチ程度はある。
ヤママユガ科に属するガには、あの国指定の天然記念物、与那国島の「ヨナグニサン」もいる。
そして本州にはヨナグニサンの小型版ともいえる、これまた幼虫が白く妖精のように美しい「シンジュサン」がいる。
ついでに言っておくと、小型版とはいっても、普通のヒトが見たら腰を抜かすほど十分大きい。

久しぶりにオオミズアオを見て、懐かしくもホッとした、あたたかな気分になった。
昔は、いなかの公衆トイレや旅行先で民宿の軒先などに、よく飛んできているのを見ていたが、最近は全然見る機会がなかった。
シンジュサンについては、小学生のときに見て以来、とんとご無沙汰である。

調べたら、いずれも個体数が減少しているらしい。
幼虫の食樹は、庭や街路樹にもある一般的なものだが、なんせ一本の木に大量発生して、さらに一匹の食べる量が半端ないので、木があっというまに丸裸になってしまう。
よって、害虫として、すぐに農薬が散布されてしまうのだ。
というか、幼虫がつく前に、害虫が発生しやすい庭木や街路樹は、大抵が事前に農薬処理されている。

基本的に農薬が撒かれず、人為的に駆除されない、山の中でしか生息できなくなっているのだろう。
たまに市街地で発生することもあるのだろうが、その数はかなり少ないように思う。

オオミズアオは人懐こい。
きょうのオオミズアオは、指を伸ばすと、指に這い登ってきて、ちょこんととまってくれた。
しばらく眺めていたが、釣り銭受けに返すわけにもいかず、どうしようかと思案していたら、わたしの気持ちを察したのか、彼のほうから突然、雨の中に飛び立っていった。
可哀想なことをしたなと思ったが、運のよいことにそのすぐ後から、雨は小雨になり、車を走らせて10分もすると雨は上がってきた。
まるで雨の中を空高く舞い上がったオオミズアオが、降りしきる雨を止ませたかのようであった。

なんでも大きなものは、理屈抜きにその存在だけで美しく、そして他を圧倒する威厳をもっている。
トリバネアゲハが蝶のシンボルであるとすれば、オオミズアオもシンジュサンもヨナグニサンも、ガのシンボルであり、そしてまた大自然の健康バロメーターでもある。

皆さんも、もし自宅や自宅近くの公園や街路樹などで、もし彼らの幼虫を見つけたら、是非、大事に持ち帰って、飼育してみて頂きたい。
飼えばなおさら、親近感がわく。
そして自然の神秘に触れることができるはずだ。
特にこのような大きくて美しい翅を持つものは、それだけで神々しいオーラを出している。
幼虫がわからなければ、検索すればすぐに出てくるので、各自でお調べいただきたい。


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陽だまり

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田んぼ青々

ぼくはカワラヒワという鳥です

スズメじゃないよ

それにしてもきょうは暑いなあ

田んぼの神さま

稲の苗が植えつけられたばかりの田んぼは、張られた水が陽光を反射しながら、まだ控えめな緑の絨毯となっている。

その光る緑の絨毯に、神々しいまでの清純な白さと華麗な細身の姿態を見せる鳥達が、舞い降りていた。

シラサギだ。

今年は喜ばしいことに、去年よりもやや数が増えた気がする。

シラサギにも何種類かあるが、真っ白なのは、その大きさなどから、ダイサギ、チュウサギ、コサギの名で呼ばれている。

わたしは見る目が衰えてしまい、チュウサギが判別できなくなっているが、ダイサギ、コサギは確認できた。

そしてアオサギ、さらにアマサギ!

昔はアマサギも多数見かけたものであるが、最近はめっきり減少してしまった。

先日も以下のようなニュースが流れていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090519-00000000-agara-l30

飛来数が年々減少 夏鳥のアマサギ
5月19日17時8分配信 紀伊民報

「和歌山県紀南地方で夏鳥として知られるアマサギ(サギ科)の飛来数が年々減少、今年は特に少なくなっている。日本野鳥の会会員は「飛来時期が遅れている可能性もあるが、全国的に減少傾向になっている」と心配している。紀南地方には毎年、5月に数十~100羽の群れが複数訪れる。同会会員によると今年は、18日に田辺市下万呂の耕作地で30羽ほどの群れが確認されたが、それまでには御坊市と新宮市で数羽の報告があるだけ。繁殖地のある三重県でもまだ少ないという。アマサギは体長50センチほどの小型のサギ。普段は全身が真っ白でシラサギの部類に入るが、夏羽では頭部と背中に亜麻色が現れる。越冬地は東南アジアなど。」

アマサギはいわゆるシラサギたちに混じって、必死に餌を探していたが、数十羽のシラサギに対し、1羽しか見かけることが出来なかった。


シラサギが舞い降りた田は、まるで神さまに守られているかのように、安心した落ち着きを見せていた。

しかしその数日前に、同じ田んぼに農薬が撒かれていたのを目撃していたわたしは、内心、心配でならない。
農家の方々には、あの蕪栗沼の、ふゆみずたんぼのように、生き物と共存する田んぼを作っていって欲しいと切に願う。

未来への共生

蕪栗沼をご存知だろうか?
宮城県にある、「ラムサール条約」登録湿地だ。
冬は約5万羽のマガンの飛来地として有名だ。
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マガン

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5万羽のマガンの「朝の飛び立ち」

昔は蕪栗沼にこんなにマガン達は集まってこなかった。
他の地域にも、冬をねぐらとして過ごせるいい場所がたくさんあったからだ。

最近は開発が進み、蕪栗沼しか冬を越すことができるねぐらがなくなったのである。
当の蕪栗沼も、餌やスペースの供給量が限界だ。

そこで、周辺の有志ある農家の方々が、冬は水を抜いている田んぼに、水を張り、「ふゆ水田んぼ」として鳥たちにねぐらを提供してくださっているのだ。

鳥が虫を食べるので害虫は減る。
鳥の糞から土地の栄養価は高まる。
などの効果もあって、この「ふゆ水たんぼ」では、無農薬無施肥で栽培をしている農家が多いという。
それでも米粒は大きく艶やかで、大変な美味らしい。

わたしも「ふゆ水田んぼ米」の30kg玄米を買ってみた。
これから食べてみる。

魚沼産などのブランド米もいいが、こうした未来志向で自然と共存を考えて生まれたお米こそが、本当の人間が食べるお米ではなかろうか。

リンクフリーではないので、興味ある人は自分で検索してください。
すぐに見つかります。

西果ての夢 ~与那国へII

与那国には、夢を追って、移住した人々がいた。
カネと地位の都会の価値観に捉われず、人と自分を比較しない、純粋に今の自分を「生きる」ことを楽しんでいる、素晴らしい人達がたくさんいた。
島を良くしよう、守ろうという気概のある人達がいる限り、いつまでも与那国は与那国であり続けるはずだ。

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「ヨナグニウマ」 とても優しくておとなしいです。
NPO法人さまで、乗らしてもらいました。
馬で海にも入りました。
素敵でした。

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ウシもたくさんいます。こんにちは、と声をかけると、なんとなく答えてくれるような気がしました。与那国では道を普通にウマやウシが歩いていますが、近づくとそっとどいてくれます。人とすべての生き物が優しく共存していました。

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動物同士も共存共栄。ウシの背中で羽を休めるシラサギ。

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シラサギのコロニー。関東ではもうほとんど見ることが出来ない光景です。わがブログの「さぎ山の夢」を参照。

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ヨナグニサンを模した道案内。実物には時期が悪かったそうで、巡りあえませんでした。保護策が功を奏したそうで、近年はだいぶ増えてくれたようです。

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与那国のジャコウとウマノスズクサ(アリマウマノスズサクサ・琉球亜種)。与那国のスズはほとんど見られませんでした。もしかしてヨナグニサンよりも数が減っているかもしれません。かなり心配です。早急な調査と食草の保護が望まれます。

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オキナワカラスアゲハはよく見かけました。




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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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