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始まりの序章

5/30 20:23 小笠原諸島西方沖 M8.5

海から逃げてきた魚くんたちの理由がわかりました。
これだったのですね。
巨大海洋型地震の発生です。

ところで、面白い関連がありました。
台風です。

5月に立て続けに日本に接近した2つの台風、6号、7号の経路です。
6号は、5月12日に、口永良部島付近に接近し、迂回するように進みました。
7号は、5月19~20日に、小笠原諸島上空を通過しましたが、今回の震源を迂回するように直前で進路を東にずらしています。

台風は、巨大震源や火山噴火に引き寄せられ、近づき過ぎると反発しあうのですね。

噴火の翌日に巨大地震。
もう止まりません。

今回のような、関東・震度4~5でも、高層タワーやビルのエレベーターは止まりました。
震度6以上なら、どうなるか想像できますね。

震源は確実に「本丸」に近づいています。
残念ですが、わたし達は再び大きな試練を乗り越えなくてはならないでしょう。

ただ何度も申し上げますが、「災害」は人間が作りあげるものです。
元来、世の恒常に「災害」の二文字はありません。
災害を災害と思えば災害になり、災害と思わなければ災害は存在しないのです。
自然の中で何が起きようとも、神のお気持ちを汲み取って、わたし達生き物は、日々の務めを全うしなくてはいけません。

地震も火山も台風も、地球が生きている証です。
人間だけがそれらを拒絶し、敵対してはなりません。

絶対矛盾的自己同一の存在であるわたし達は、絶対無の世界において、自他の別あって自他はなく、自他の別なくして自他があるのです。
湧き上がるマグマの噴煙、襲い来る大津波、街を破壊する大地震。これら、決して敵対することなかれ。
目の前に起きるであろう「恐ろしい」現象は、即ちあなた自身でもあるのです。
果たして、あなたという宇宙では、「災害」は決して起きないものでしょうか?
いいえ、そんなことないのは、あなた自身が一番おわかりですよね。

もうすぐ、わたし達一人ひとりの宇宙が、絶対無の世界にどう存在すべきなのか、試されるときがきます。
それは個の命が、生きるか死ぬかではありません。
たとえ生きても生を得ないかもしれませんし、命尽きても生を得るかもしれません。
絶対無の世界とはそういうものです。

さあこれから、絶対無の神と対話する、絶好のチャンスが訪れるはずです。

災害に向き合う前に、絶対無に向き合ってみてください。
絶対無に向き合うには、まず自分自身に向き合ってください。
向き合った自分には宇宙があるでしょう。
自分はその宇宙の中に「いる」のかもしれませんし、「いない」のかもしれません。
生きているのか死んでいるのか、存在しているのかしていないのか、本当はわかりません。
確かなことは、見た目の生き死にや、形の有無は重要ではないということ。
確かなことは、絶対無の世界では、すべての存在が絶対矛盾的自己同一であるということです。

災害を恐れるのは本能かもしれませんが、恐れは「畏れ」でなくてはなりません。
ただ恐れるに任せて拒否や拒絶、敵対することは、即ち自己を拒絶することになるのです。
自己の拒絶は絶対無の拒絶、神の拒絶です。
それは、あなたの本当の「死」を意味するのです。

古の人々は、大自然の異変に「畏怖」の念を抱き、そこに神を見ました。人智の限界を識ったのです。
今の人々は、大自然の異変に「恐怖」しか抱かず、そこに悪魔を見ます。人智以上の存在を知ろうとしないのです。


世の苦楽、軽重、明暗、生死、是れすべて人の妄想なり
驕れる人智の洞窟から這い上がり、本当の世界を観よ。
神の照らす絶対無の世界は、広漠なり。
広漠の果てで、自分と出会うことができたときこそ、真の命を得るはずである。





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「こころざし」が決める世界

25日の茨城県南部の震度5弱は序の口でしょうか。
魚が逃げてきたので、これから起きるのは海洋型地震のはず。
世界中で噴火のきざし。
きょうはガラパゴスでマグマ噴火のニュースが。

一方、なぜかダウと日経はうなぎのぼり。
震度5弱のときは一過性に急落。
みんな、近いうちに災害が来るのはわかっているのです。
それがいつなのか、神経を集中させて感じ取ろうとしているのですが、見た目はわからぬようボロ服を着てごまかしているのです。

「災害」は人間の目から見た言葉です。大地震、大噴火がおきようとも、野生動物にとっては、日常生活はさほど変わりません。
人間だけの視点に惑わされることなく、正しい「志」をもって、生きていきましょうね。
肉眼に見えるものだけを追っていては何も変わりませんが、正しい心の眼を通して世界を見れば、今まで何気なく感じていた自分が思っていた「尺度」が、大きく変わっていくことでしょう。

世界を決めるのは自分。世界を変えるのも自分。
自分を決めるのも自分。自分を変えるのも自分。

自分で大事なのは「こころざし」。
「こころざし」は自分を正しく、潔く、そして強く、高貴に導くのです。
「こころざし」の炎は、マグマの噴煙よりも高く熱く燃え上がります。
「こころざし」の強さは、どんなに大きな地震の揺れにも負けません。

災害など怖くはないのです。
怖いのは災害を恐れる心です。
「こころざし」のない心です。
最近、そのような人が増えてきているようで、それが怖いのです。

「対決」の果て

オリンピックでは、スポーツによる「対決」が熱を帯びて喧伝されている。
政治の世界でも、増税問題を中心とした内政上の「対決」、領土問題を始めとする外政上の「対決」が目についてきている。

「対決」とは何であろうか。
私たちは、あまりにも簡単に(考えることなく=感情的に)、対決の世界に踊らされてはいないだろうか。

元々、対決は自然界にはつきものである。
野生生物は、生まれながらにして対決の「生」を歩む。
それはまさに、生きるか死ぬかのレベルで、対決を繰り返して生き抜いていく。
怪我や病を背負えば、すなわち「死」が待っている。

弱肉強食である。
しかし自然界は、不必要な「欲」を持たない。
本能に基づき、一定の食欲が満たされれば、それ以上の無用な「対決」は避けるようになっている。
種の頭数も、弱肉強食による自然淘汰で、多少の増減はあっても、うまい具合にバランスをとっている。
この観点から世界を見れば、弱肉強食は共存共栄ということになる。

世界の中で、唯一特殊な生物が「人間」である。
なぜなら、人間だけが「不必要な欲」を持った生物だからである。
生きることの他に、余分な「富」、「財」などを蓄えようとする(死んだら自分のために使うことは出来ないのに)。
それを、人間特有の高度な(?)、知恵、知能のせいにするのは簡単だ。
しかし、知恵は知恵でもそれは猿知恵の範疇であり、決して叡智である「智恵」ではない。

繁殖に伴う「欲」も、一般的な哺乳類や鳥類では、繁殖期として年1-2回が普通のようだ。
人類のように、年中発情可能な生き物は、特殊と思われる。

こうした、特殊な「欲」を発現した生物、それが人間である。

繰り返すが、生きるということは、対決の歴史でもある。
しかし、その対決は、弱肉強食かつ共存共栄であることが必要であり、弱肉強食一点のみの対決は、最終的に破滅を招く。

「自」らが生きるためには、必要最低限の「他」の犠牲が必要である。
「他」の犠牲により、「自」が生きる。
この点において、生きるということは、自他の別あれど、而して自他の別はないのである。

相手が存在するから自分が存在する。
サッカーも、敵がいなくては試合にならない。
対決とは相手があってこそ成り立つ。
相手をリスペクトするとは、共存共栄の精神である。
敵を打ち負かすだけで得意気になるのは、弱肉強食のみの稚拙な精神構造である。

とにかく、生きるためには対決は必至なものではあるが、いかに「敵」と共存共栄するかが、「自」が生き続けていくために重要なことなのである。
対決だけに突き進むことは、最終的に地球滅亡につながる。
気に入らぬ相手をすべて打ち殺していけば、最後は自分以外何も存在しなくなる。
相手がいない世界で、己は生きていくことができない。

本能の働きにより、自ずと対決がコントロールできている自然界の生物に比べ、本能の箍が外れ、「不必要な欲」の塊となった人間は、それでも自らのことを「高等」生物と呼べるのであろうか。

共存共栄的弱肉強食は、絶対矛盾的自己同一である。
一存他排的弱肉強食は、絶対矛盾的自己矛盾である。

この世界は、絶対矛盾的自己同一の世界である。

人類には、世界で日々繰り返されている、様々な「対決」に内在する本質を、「智恵」を使って考え直してもらいたい。
ただ単に、「対決」に一喜一憂、振り回される日々は、個の対決結果に関わらず、それは全体の破滅に繋がるレッドカーペットでしかない。

地球の歴史上、最も愚かな生物=人間として、宇宙人に記録される日も近いであろう。


波乗りGENZAI

量子の世界では、物質の最小単位は「ヒモ」であり、そのヒモの振動数によって、量子の種類が決まるという

振動するヒモ

振動には波長がある、つまり波

物質の単位が波であるなら、わたし達人間もまた波

寄せては返す海のさざなみに、心が癒されるのも、波だから?


気候もまた波

氷河期 温暖期 繰り返して現在に至る

今後は寒冷期に移行するらしい


宇宙もまた波

ビッグバンが本当かどうかはわからないが、一点から爆発的な膨張を続け、あるときから再び収縮に転じる という

いずれにしても膨れては縮む

まるで三角関数のような 波


経済もまた波

ここ数十年で急激に膨張した金融資本は、いずれ収縮に向かうかもしれない

遠い未来に、自給自足の縄文弥生時代に戻るかもしれない

物々交換の価値の基準として、天下の回り者「money」が使われている

元は、貝であったり、銅、銀、そして金であった

いずれにしても、その価値を決めるのは人間である

moneyの価値が暴落すれば、goldになるかというと、そうでもないだろう

goldは確かに美しく、人間の妖しい欲望をかりたてる

goldに価値を感じているうちはいいが、goldはmoneyと同じで、結局実物は食べられない

goldが人類共通の価値を普遍的に得られるかどうかは、幻想的である

世の中が波である以上、限りなく景気がよくなる世界などあり得ない

膨張したユーロは、また離別個々に分解していくだろう


これからの世界は、収縮に向かい始めたのかもしれない

負の方向に生きる自覚

正の方向への幻想にとらわれていると、今後は思ったようにいかないので、息苦しくなるだろう

負の方向に進む世界で 気持ちはプラスに生きることが大切だ

世の中は波であり、プラスに進むときもあればマイナスに進むときもある

而して、自らは過去から未来へと一方向へしか歩むことは出来ないのであり、しかも現在の檻から逃げ出すことはできない

生から死へ 死から生へ

生死もまた波といえば波


現在から逃げられないとの同じく、「波」の業からも逃れ得ない

現在を波に沿って生きる

それ以下でもそれ以上でもない

それが人生なのではないか


時間の最初も最後も決してわからない

宇宙を宇宙の外から眺めることも決して出来ない

時空の限界を理解できない以上、人間の存在はこの宇宙の一構造体に過ぎず、井の中の蛙、釈迦の掌である

発展した科学は、多くの驚くべき知見をもたらした

しかし科学もまた波

これからは何でもわかると思っていた科学は、何にもわからなかったということがわかっていくだろう


井の中、釈迦の掌で、「波」の業を背負い、現在を歩み続ける存在

それがこの現世であり、人間である

個を区別すれば、自分も死も存在するが、個を消し去れば、そこには自分や死は存在しない

個を区別しているのは、人間や動物の本能ではあるが、本質ではない


すべてを消し去ってゆけば、波と現在が残る

さらにそれさえも消し去れば、井の外には釈迦、それは絶対無の世界



2012 人類の着地点

生まれながらにして五感を持たない。
他を感じることはなく、必然、自もない。
自他の区別なく、茫洋とそこにあるのは宇宙と一体化した意識のみ。

他から見た自という存在は、自分という限られた枠を超え、宇宙意識と場を同じくする。
それでも他から見た、生き死にの現象は、同じくある。
しかし生の意識がなければ死の恐怖もない。
ただひたすらに、大宇宙と同一化して、時過ぎるのを待つ。

人間に限らず、生き物の多くは自他の区別あり、忙しい生命を送る。
しかし人間ほど、色々な区別をする生き物はいない。
遠近、軽重、早遅、大小、高低、苦楽・・・

区別をすればするほど、憂慮と後悔、嫉妬と優越、そして単純な喜びもあれば悲しみや苦悩も増える。
それが人間らしさといえばそれまで。
しかし現実の「苦悩」する世界を作り出しているのは、人間自らでもある。
鹿や熊は、食べ物が少なく、人間に撃たれ、追い詰められていても、この世が「苦悩」と感じているだろうか?

自他の区別は、生命の宿命とはいえ、ほどほどがよいのではなかろうか。
何でも極端は好ましくない。
人間も、自他の別を少し忘れるところがあってもいい。

原発事故も不景気も戦争も貧困も、自他の別が作り出した、「幻想」に過ぎない。
2012年を来年と表現するのも区別だが、地球生命にとって良い年でありますように。
人類は「自然」に還る。
はやぶさで宇宙を探検するのではなく、目を閉じて大いなる宇宙を「見る」のである。


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プロフィール

ドクトル・グレイ

Author:ドクトル・グレイ
ドクトル・グレイ(愚零) (KIN 191:青い猿、青い夜)

小学生の時、鏡を見ていた自分が忽然と思った。
「自分が死んだらこの世から消えてしまう。消えてしまう自分とはいったい何なんだろう。」
以来、わたしは「大人」になった。分別知が芽生えたのである。それは無分別の世界に遊んでいた子供の楽園から、不幸の滝壷に突き落とされた瞬間でもあった。
生死の不安、明日の心配・・・
悩みはつきることなく湧き出でたが、解決の糸口はつかめなかった。
何のために生きているのか?
他の生き物を傍若無人に虐殺してまで、人間は何のために生きるのか?
将来必ず死ぬことが、わかっているではないか。
高校生の時、西田幾多郎の著作に出会った。
「絶対矛盾的自己同一」
なんだかよく分からなかったが、そこには答えとなる真理が隠されているように感じた。
いったい自分は、人間は、何を知っているというのだ。
そもそも知るという認識の過程から考え直さなければならないのではないか。
自分のことを自分が一番良く知っていると思っている。
そんなのウソだ!
自分とは何か、他とは何か、生きるとは、死ぬとは、自然とは、宇宙とは、神とは何か?
人知に照らされたこの世界。
人知に掘られた井戸の中の蛙である人類、わたし。
宇宙の果てを井戸の中に探しに行くアホらしさ。
カマキリやチョウが、明日に死ぬ心配をしているか?
相対と絶対。
不連続の連続。
少しずつ答えの入り口が見えてきた。
何も知らずしてすべてを識り、時空を知らずしてすべてを識る。
科学は無智であり、自然は無知である。
鏡に映った自分は、自分の知っている自分ではなかった。
人知による分別世界は相対世界。
相対世界は虚相世界。
虚相世界の生死、それは結局、蜃気楼。
人知の懐中電灯を消せば、薄暮に浮かぶ無限的広野が眼前に広がっていた。
真実の実相世界は無分別の智、それは絶対無。
不安、恐怖、対立、争闘・・・
虚相世界のすべての現象、それは絶対無において一縷の疑問もなく消滅した。
探し物は、遠い未来にも遥かなる宇宙にもなかった。
永遠は今この瞬間にあり、無限は目の前の一点にあった。
ごはん一粒に、無限宇宙と深遠なる神を見る。
知らない自分はすべてを識る。
自分は自然、自分は宇宙、自分は神、そして絶対無の存在。
本当の歓び、本当の愛。
あえて言葉で云うならば、絶対的歓喜と絶対的大愛に満ち満ちた世界。

人類よ、前へ進むな、振り返れ!
人類よ、今こそ行こうぞ、絶対無へ!


(KINについては、以下の「古代マヤ暦の暗号」を参照のこと)

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